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連載歴史・時代小説の歩き方

忌みの名は。――対照的な二編の「方広寺鐘銘事件」

2016/10/15

genre : エンタメ, 読書

 大坂の陣のきっかけとも伝えられる方広寺鐘銘事件。鐘に刻まれた「国家安康」の文字は家康の諱(いみな)を二つに割っている、これは呪いだ――と徳川方がイチャモンをつけたという有名な事件で、『真田丸』では片桐且元の口からこの顛末が語られた。いやもう且元が不憫でなあ……ちゃんと草案見せたじゃん、その時はOK出たじゃん! というくだりは我が身のことかと泣くサラリーマンも多かったのではないかと。

 ところで『真田丸』で、銘文を考えた清韓は良かれと思って趣向としてわざわざ家康の名を入れた……てな展開を見て驚いた視聴者もけっこういたのではないかしらん。だってこれまでの時代劇では、家康の名が入ってるなんて豊臣方は気づいてもなかったのに、徳川方が一方的に難癖をつけたと描かれてきたから。

 でも現存する史料によると実際に清韓は、徳川のイチャモンについて「家康の字を隠し題に入れた」「喜んでもらえると思った」と弁明しており、今回のドラマの方が研究結果に則ったものなのだ。

 じゃあなぜこれまで徳川方が一方的にでっち上げたみたいに描かれていたのかというと、『駿府記』という史料を下敷きにしてたから。まあ、どっちにしろ徳川方の〈わかった上での言いがかり〉なのは一緒なんだけどね。『駿府記』では家康が金地院崇伝と板倉重昌を呼んで「この言葉って不吉じゃね?」と告げたことになっている。が、家康の発案というより誰かが入れ知恵したような書かれ方になっているらしい。

 このあたりを〈徳川の影の参謀たちによるドス黒い策略〉として書いたのが司馬遼太郎『城塞』(文藝春秋『司馬遼太郎全集28-29』)だ。その参謀たちとは、金地院崇伝、林道春(羅山)、天海の三人である。いやもうこれが、司馬御大、よっぽどこの三人が嫌いだったんだろうなあというヒドい書かれ方なのだ。

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