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オタクがオタクでなくなるとき

「ヤメヲタ」はオタク活動を終止するとき何を遺すか

2017/05/11
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「知り合いのオタクが引退する」という事態、漠然とした不安

 ゲーム好きであれアニメ好きであれアイドル好きであれ、オタクはキモいと言われます。人生この時点でハードモードなのですが、社会人として就職することはできても結婚したくてもできなくて挫折し、おひとりさまであり続ける修行僧のようなオタクはたくさんいます。身近なオタクは独り身だとみな不健康そうであり、絶えず孤独死に怯え、自分の死よりもうっかり死んで自分のエロ画像コレクションがパソコンのハードディスクの中から発掘されて親兄弟に見られることを怖れているのが印象的です。

©iStock.com

 オタク的な活動が市民権を得てきているとはいえ、やはり自身の仕事や親の加齢で身動きが取れなくなる中で、ひっそりと冷温停止するオタクは少なくありません。先にも申した通り、ネット全盛時代に同好の士から「そういえば、あいつネットで最近見かけないな」と言われることはままあります。そして、2週間近くコミュニティに書き込みがないと死亡説が流されるくらいにはオタク同士の相互監視の目はあるんですけれども、熱心なオタクの離脱はストレートにそのジャンルの衰退を意味するため、普段は知識量を競い合い同好の士同士のマウンティングに精を出している面々も「知り合いのオタクが引退する」という事態に直面すると真顔になります。

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 それは、やがて自分も引退することになるかもしれないという漠然とした不安と、こんな活動を続けていっても人生の終着点には何も残らないという焦燥感との間で自分の未来と折り合いがつけられないことに他なりません。オタクは皆、好きは好きだけど、どこかで手を離さないと先はないことは薄々気づいていて、しかし同好の士がネットで集まるタコツボの心地よさからなかなか離れることができず、ジャンルごとどんどん高齢化していって身動きが取れなくなって最後は擦り切れるように消滅することになります。