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稲泉 連
2017/05/20

虐待と向き合う児童相談所の葛藤 #1

50年後のずばり東京――親、子供、社会の板ばさみ。職員たちの使命感とは?

世間、保護者、当の子供たち――さまざまな人の批判にさらされる児童相談所。虐待の凄惨さや課題・問題はときおりメディアで報じられるが、本稿ではそうした社会問題ではなく、“東京で働く人々の日常の1コマ”として児相の現実に迫る。
(出典:文藝春秋2017年5月号・全3回)

稲泉連氏 ©文藝春秋

 日暮里・舎人(とねり)ライナーの「江北」駅を降り、車の往来が多い道を10分ほど歩く。

 道沿いの学校の近くで路地に入ると、それまでの喧騒が嘘のように辺りは静かになった。そんな閑静な町の一角に、目的地である赤レンガ風の2階建ての建物・東京都足立児童相談所はあった。

 東京都には全部で11の児童相談所があるが、そのなかで足立児童相談所は東部の足立区・葛飾区を管轄している。貧困や中高生の非行に端を発する相談、子供が3人以上いる多子家庭における虐待の事例が比較的目立つ地域だという。

最長二ヶ月、帰れない子供たちの「一時保護所」

 施設内に入ってすぐ、ロビーの壁に並べて貼られていた子供たちの絵日記に目を引かれた。

〈今日、クリスマス会で一番面白かったことは、所長さんと係長さんがへんなおしばいをしたことです〉

〈チョコレートタワーを使ったましゅまろとかチョコバナナやチョコリンゴがおいしかったです〉

 などの1枚1枚に、印象に残ったシーンが描かれている。

 この相談所の2階には、小学生から高校生までの子供たちを預かる「一時保護所」がある。

 相談所には虐待や養育の困難な家庭の子供に対して、所長による「職権保護」が認められている。例えば殴られた傷の痕や痣があり、虐待の疑いが濃厚な場合、彼らは子供を保護する。その上で家庭が子供を帰せる状態にあるかどうか、そうでなければ児童養護施設や里親の元へ行くかなど、両親との話し合いが始まる。子供たちは行き先が決まるまで、最長で2か月間をこの保護所で過ごすことになる。

 ロビーに貼られていた絵日記は、そうして一時保護された子供たちの手によるものだった。全て前年のクリスマス会の模様で、所長と保護係長の2人羽織、中学生のハンドベル、小学生たちのダンス――と様々な催し物があったようだ。その日は食事も特別で、チョコレートフォンデュも楽しんだという。

「あの2人羽織はクリスマスに3年連続でやっているんです」

 相談所の所長を務める大浦俊哉が、少しテレ臭そうに言った。

「着物を被って、私はからし一杯の蕎麦、係長はタバスコ入りのスパゲティを食べました。辛かったけれど、大盛り上がりだったんですよ」

世間、保護者、子供たち―板挟みになる児相

 数多ある国や都の行政機関の中で、児童相談所は批判にさらされることの多い組織だろう。彼らの仕事は虐待死事件が起これば「児相はなぜ気づけなかったのか」と世間から非難され、一時保護をすれば「子供を拉致した」と保護者から詰(なじ)られる。そして当の子供たちもまた、ルールの厳しい一時保護所での日々を、後に嫌な思い出だったと振り返ることが多いのである。

 児童相談所では所長を筆頭に、様々な相談に応じるケースワーカーである児童福祉司、子供たちの心理判定を行う児童心理司などが働いている。足立児童相談所には33名の児童福祉司がおり、社会福祉士、心理司やケアワーカー、調理職員がさらに32名、他にも精神科医や小児科医、弁護士、警察OBといった非常勤の職員がかかわっている。

 その取り組みはメディアでもときおり報じられるが、多くは家庭での虐待の凄惨さや、児童相談所の抱える課題や問題を描いたものだ。この「ずばり東京」の依頼を受けたとき、私は彼らの仕事を「社会問題」としてではなく、東京で働く人々の日常の1コマとして書いてみたいと思った。そうして話を聞く中で出会った1人が、足立児童相談所の所長である大浦であった。