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稲泉 連
2017/05/22

虐待と向き合う児童相談所の葛藤 #3

50年後のずばり東京――親、子供、社会の板ばさみ。職員たちの使命感とは?

都内に児童相談所は11カ所ある。足立児童相談所(#1#2参照)では、過去の悲惨な事件から教訓を得て、職員は試行錯誤を繰り返しながら子供たちの保護に努めている。都心を離れた八王子児童相談所でも、職員は様々な葛藤を抱えながら働いている。
(出典:文藝春秋2017年5月号・全3回)

地域ごとに異なる相談内容

 都内に11カ所ある児童相談所は、管轄する地域によって抱える問題の傾向も異なる。

 大浦が所長を務める足立児童相談所とは対照的に、例えば港区、中央区、新宿区といった都心部を所管する「児童相談センター」では、少年・少女の家出、タワーマンションの多い地区での受験をめぐる家庭内トラブルも多いという。また、西側の地域では山梨や神奈川など他県の児童相談所で問題になっていた家庭の「流入」が目立つなど、相談の内容は様々だ。

都心を挟んで八王子へ

 足立児童相談所で話を聞いた後、私は都心を挟んでその西側にある八王子児童相談所を訪れた。八王子市や日野市を管轄する相談所だ。

 JR「西八王子」駅を降り、町の中心部から離れること20分。冷たい空っ風に吹かれながら歩くと、運動場を備えた広大な富士森公園が左手に見えてくる。その反対側の小高い丘を登り切った先、多摩丘陵の住宅地が遠くまで見渡せる市の教育センターの隣に、八王子児童相談所の小さな建物はあった。

 その日の相談所内はいつもより賑やかだった。ハンディキャップのある子と母親が相談室を出入りし、受付ではこれから帰る幼児を職員があやしている。ロビーにこだまする彼らの笑い声が、普段はどこか殺伐としている相談所の雰囲気を和らげていた。

「今日は愛の手帳の判定日でしてね。あと、一時保護所の子の面接もあったのでお客さんが多いんです。近年の我々の仕事は外に出ていくことが主なので、めずらしい日かもしれません」

 所長の辰田雄一がにこやかに言った。

 事務職として東京都庁に就職した大浦に対し、福祉職採用の辰田は1988年の入庁と一回り若い。

 大学の福祉学科を卒業後、千葉県館山市にあった児童養護施設・東京都那古学園の職員などを経て、平成16年に児童福祉司に。立川児童相談所に配属された後、江東児童相談所長を経て八王子の所長に就任した。

「この多摩地区の特徴の一つと言えるのは、区部と比べて戸建ての住宅が多いことです。地域のコミュニティがまだ残っている地区も少なくないなか、他県で児童相談所にかかわっていた家庭に対して、いかに行政の支援をつなげていくかに気を配っています」

 八王子児童相談所の児童福祉司たちもまた、「虐待通告」の対応に追われる日々を送っている。近年の通告数は増加の一途を辿り、「次々に入ってくる新規相談に対応するだけで精一杯」の状況だという。そこに施設入所や里親、在宅での保護者の指導がさらに加わるのである。

若手の育成が課題

 そのなかで辰田のような所長がとりわけ苦心しているのは、新たに増員されてくる若い児童福祉司を、どのように育てていけばいいかという課題だ。

「若い福祉司たちが苦労するのは、虐待の通告を受けて家庭に訪問をしたとき、『お前は子供がいるのか。いないのに親の気持ちがわかるのか』と保護者から言われてしまうことです」

 また、どこかで虐待事件が報じられた翌日には、訪問した家庭で「やあ、人殺しの児相が来た」と言われることさえあるというから、児童福祉司のストレスはかなりのものだ。

 辰田の世代くらいまでの福祉職の職員は、様々な施設などで経験を積んだ上で児童福祉司になってきた。だが、近年の児童相談所では業務の激増に伴い、新卒での入庁と同時の配属が増えた。

「社会経験の浅い彼らは、『子育てもしたことがないのに、語るんじゃねえ』『2度と来るな』と言われ、ときには強面(こわもて)の父親から『この前、おまえが歩いていたのを見たぞ』と脅されると、打ちひしがれてしまう者もいます。しかしたとえ職場の隅で泣いたとしても、また同じ家庭へ訪問に行くのが我々の仕事。それを乗り越えて児童福祉司として一本立ちしていくわけです。ただ、途中で燃え尽きてしまう職員がいるのも事実です」