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芥川賞候補となった『夏の裁断』を越えて、エンターテインメント小説に舵を切っていく「決意」――島本理生(1)

話題の作家に瀧井朝世さんが90分間みっちりインタビュー 「作家と90分」

2015/10/24

genre : エンタメ, 読書

note

ミステリーへの挑戦は本当に勉強になりました

――辛い過去と向き合って再生していこうとする女性の姿は、これまでにも書かれてきましたよね。

 

島本 そうですね。でもやはりなかなか答えが出づらくて、それで試行錯誤していたところがあります。でも『夏の裁断』と『匿名者のためのスピカ』で「どちらも恋愛ではなかった」というところまで書けたので、次くらいからはもうちょっと本当に、希望がありそうな話が書けるかなと。

――ただ、こちらの主人公は女性本人ではなく、彼女のことが好きな青年です。笠井と七澤というコンビは、探偵役と助手役のよう。今回、ミステリー作品に挑戦したわけですよね。

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島本 ミステリーにはすごく関心があったんですけれど、自分にできるだろうかと思っていたんです。でも、実際の事件をベースにした、男女の恋愛とか感情のもつれの話だったらできるかもと思い挑戦しました。ただ、連れ去られた女性を主人公にすると、加害者の男性と二人だけの、シリアスで閉じられた話になってしまう。それよりも俯瞰する視点が欲しかったので、その女の子とつきあっている男の人の視点にしました。それで、探偵役を書いてみたいと思って、それならやはり助手役も要るだろうと(笑)。

 最近、20~30代の男の人と話していると、見た目はいいのに実は女の子と一度も付き合ったことがないという、奥手な人が意外と多いんです。恋愛はしたいけれど傷つきたくないから、素敵な人が向こうからやって来ないかと思っている。すごく今時っぽいなと思って、主人公の笠井さんはそういう人になりました。笠井さんの、女の子をがっかりさせるような台詞を考えるのは楽しかったです(笑)。

 七澤君は反対に、やたらと女の子の気持ちに察しがよくて、黒い部分もあるけれど憎めない男の子、というイメージです。

 景織子もそうですが、今回は母親との関係もキーになっています。自分が子育てをしてみて、母親って子どもの人格に影響を与えるなとしみじみ思ったので。それで笠井君だけがお母さんとの関係がよくて、七澤君や景織子は母親とうまくいっていないという設定になりました。

――ミステリーに挑戦してみて、いかがですか。

島本 もう、本当に勉強になりました。伏線を後半で回収するのが死ぬほど大変でしたし(笑)。事件ものなだけに、登場人物の心理をしっかり書いておかないと、後々になってなんでこんなことをしたのかが分かりづらくなるし…。それと、事件ものは作者の価値観というか、善悪の基準が出やすいですね。人が死んで加害者に判決が出るまでの流れのなかで、作者の価値観が出るのは怖いことでもある。それは、書く前は全然意識していなかったことでした。

 自分のなかではまだこのテーマは、確信を持って「こうだ」と言い切れる段階ではなく、挑戦段階だと思っています。その段階で自分の価値観が偏ってしまうのはよくないなと思ったので、今回は真ん中くらいに置きました。