昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

竹内 茂喜
2017/05/17

【中日】期待の鈴木翔太を“父親気取り”で応援すると前向きになれる

文春野球コラム ペナントレース2017

待望の本格派右腕誕生!

 悪夢と化したゴールデンウィークから1週間が過ぎ、ドラゴンズファンの皆様、精神衛生はしっかりと保たれていますでしょうか?

 かく言う私のイライラ度数はかなりなものであり、毎朝のルーティンである中日スポーツを玄関まで取りに行く行為さえサボタージュする有様。当然夜のスポーツニュースなどは頑なに視聴拒否と、いい年したおっさんが子供染みた行為を繰り返す日々を過ごしておりました。しかし、まさか連休明けにこれほど夢と希望に満ち溢れた素晴らしい物語が用意されていたとは。

 それは鈴木翔太のプロ入り4年目にしての初勝利。連敗で淀みきっていた心に一服の清涼剤を流し込んだような、まさに溜飲を下げる投球を見せてくれたのだ。

 5月9日、舞台は岐阜の長良川球場。対DeNA戦。地方球場という投げづらいマウンドにはビクともせず、5回2/3をロペスの一発だけに抑える好投。圧巻は5回。連打で無死一、二塁となってからの三者連続三振。かつてのエース川上憲伸は「ピンチになった時に三振が取れる投手は本物」と絶賛し、久しく現れなかった本格派右腕誕生への期待が高まった。

9日のDeNA戦でプロ初勝利を挙げた4年目の鈴木翔太 ©産経新聞社

バンビから精悍なる牡鹿への変貌

 2013年ドラフト1位という鳴り物入りで静岡・聖隷クリストファー高校から入団した鈴木。入団当時は生まれたばかりで足元もおぼつかない子鹿が、猛者の集まりの中に一匹だけ放り込まれたような感じで、プロとしては線も細く、頼りない状態であった。

 これまで残してきた結果に誇らしいものは何もない。一軍登板は1年目5試合、2年目2試合と尻すぼみ。怪我にも悩まされ、2年目、ファームの開幕戦を任せられるも、試合中に打球が直撃し、左膝の亀裂骨折でシーズン前半を棒に振った。3年目の昨年は春季キャンプ直後に胸椎を痛め一軍登板ゼロと散々なシーズンを送った。素晴らしい素質を持ちながら不遇な日々を過ごしてきた彼だからこそ、いつ何時も他の中日選手の誰よりも気にかけ、新聞に鈴木の活字が躍れば一喜一憂していたものだった。

 ようやく開花の兆しを感じさせたのが昨オフ、NPBウエスタン選抜として参加した「アジアウインターベースボールリーグ」だった。鈴木は決勝のNPBイースタン選抜戦に先発。5イニングを9奪三振無失点に抑え、チームを優勝に導く快投を披露。この試合のMVPを獲得し、結果このリーグ戦では先発、中継ぎを含め5試合に登板。3勝1敗、防御率2.37と今までにない安定した結果を残した。

 勝負の今シーズン、キャンプでスピンの掛かったストレートを投げ込む鈴木に、友利結投手コーチは「まるで日本刀のような切れ味」と絶賛した。身体も一回りも二回りも大きく成長し、あの可愛いバンビちゃんが、精悍な牡鹿へ成長したような印象を受けた。そんな鈴木が、やっと勝ったのだ。ドラゴンズの未来に光が差し込むような待望のプロ初勝利。心が震え、涙腺が自然に緩んだことは言うまでもない。

鈴木翔太に出会えて芽生えた感情

 プロ野球選手という人たちは、いくつになっても尊敬して止まない特別な存在である。その一方で、期待に応えない選手には口には出さなくとも、心の中で「大野、〇〇〇」「平田よ、その茶髪どうにかしろ!」と罵詈雑言を並べたててしまっていた節がある。

 だが鈴木、いや翔太への感情は……まるで別だった。何があっても「頑張れ!」の一点張りで、野次なんて浮かんでこない。なんだ、この気持ちは。ただひたすらに頑張ってほしい。元気でいるか? 街には慣れたか? 友達できたか? 今度いつ投げる?

 気がつけば私は「案山子」のように、いや、自身の子供のような感覚で翔太に声援を送っていた。確かに、私の長男と1歳違いという親近感もあったのだろう。ひたむきに頑張る翔太の一挙手一投足に私の父性は溢れだし、勝手に名古屋の父親気取りで声援を送っていたのだ。

 そして気づいたことがある。ネガティブで心が支配されるよりも、すごく楽なのだ。こんな穏やかな気持ちで野球を見ると、景色が一変する。雑念を捨て、中京圏全人類の幸福を願うナゴヤの父となれば、頭の中から猜疑心や失望が消え失せ、蔑む心、罵りたい言葉から解放される。

 いつもヤジにまみれていた私が、翔太と出会えたことで、失敗しても「次の機会に結果を出せ!」と前向きなる声援を送るようになれた。こんな気持ちにさせてくれた翔太には心から御礼を言いたい。