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山本 一郎
2017/05/18

「負け組」50代の漂流

部下がついてこない人の「失敗の本質」

社内で宴会を企画するようなマネジメントの人は

 私自身も40代になってみて、どこからも誘いが来なくていつまでも履歴書を書いて送ってを繰り返している独立・転職を目論む同級生や先輩を目にすると、せっかく生きてきて人から誘われることのない空しさを特に感じることがあります。もちろん私も冴えない50代を送るかもしれないし、病気にでもなって残りの人生を闘病に費やすことだってあるかもしれない。それでも、自分のやってきたことを良くも悪くも評価してもらいながら、世の中の流れに合わせて事業を立ち上げたり投資をしたり誰かに誘われたりという、インプットとアウトプットをきちんと検証しながら生きていけば、それほど大きく間違った、後悔するような後半生にはならなくて済むんじゃないかという考えはあります、曲がりなりにも。

 やはり、仕事をしなければ生きていけないのが人生だとするならば、何を武器にして、誰と肩を並べて仕事をするのかという自分の中の整理ができていないと、なかなか展望が拓けないんじゃないかと思います。それは、家族や家庭を大事にするとか、資産があるとかないとかでなく、どんな仕事をして世の中に存在感を示そうとするのか、少なくとも自分の取り組んだものが誰かに評価されるようにするためにどれだけ考えたかだろうと感じます。それは、50代が自分に関心を払ってもらうために行うのが宴会であることの是非にも繋がります。きっと部下を束ねて部下の気持ちを理解するのに社内で宴会を企画するようなマネジメントの人だったからこそ、会社という組織から外れた後に危機感を感じて打つ手も宴会になってしまうんだと。

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「右肩下がり」という下り坂に見合った立ち居振る舞いができるかどうか

 逆に、私の身の周りで決して裕福ではないけれど尊敬できる50代の姿というのもあります。たまたま勤めた会社が倒産してしまって取り残され、債権者に頭を下げながら最後の整理まで面倒を見た方とか、決算を監査法人が通してくれなくて巷で騒がれている名門企業で事業管理をしておられる方などは、この人は凄いなあという50代の典型です。いずれも修羅場を経験されて腹が据わっていたり、現状にのめり込まずに超然と状況を俯瞰して冷静さを保っていたりする。何かをしてもらうためにお金を払うのがビジネスだとするならば、当然ながら何かをやり遂げてくれる人をプロと見込んで発注するわけです。「きっとこういう仕事を求めるクオリティで実現してくれるだろう」と値踏みをするのが履歴書に書かれた学歴や職歴、スキルです。しかし、40代になってなお学歴に縋る、どこそこの大企業に勤めた、どの役職であった、というのは果たして本当にその中年の「仕事の品質保証」になるのでしょうか。そういうカタガキは仕事の品質とあまり関係が無くなり、取引先や企業組織や部下が求めるものは仕事に対する姿勢やこだわり、あるいはビジネス、社会に対するものの考え方へとどんどんシフトしていく。それがこれからの中高年が向き合うことを余儀なくされる環境の変化だと強く感じます。

 人口減少の局面にあって、日本経済がバブルよ再びなどという経済環境には二度とならないのが分かっている現状で、やはり求められているのは「右肩下がり」という下り坂に見合った立ち居振る舞いのできる社会人であると思います。企業も、組織の在り方が大きく変わっていく中で、何を道しるべに生きていくべきなのでしょうか。

 やはり「一つの会社を定年まで勤め上げた」というだけで、私なんかは「凄いな」と思うわけですよ。早いうちから独立した私にとって、組織に生きてきた人には生き残ったなりの味があります。その味の上に、退職後の「もう一工夫」を施すためにも、組織や役職の看板が外れた後の自分づくりを考えてほしいと切に願います。

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