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楊中美
2017/07/05

習近平が“国民的歌姫”と再婚した理由

中国史上一番人気のファーストレディとの出会い

source : 文藝春秋 2016年2月号

genre : ニュース, 国際

実はバツイチ、海外志向の初妻とのすれ違い

 習近平夫人、彭麗媛(ほうれいえん)(53)のことは中国人なら誰もが知っている。彭はヒット曲「我愛你塞北的雪」「在希望的田野上」で三十年以上前から全国にその名を知られる国民的歌手だからだ。

 なぜ共産党の有力幹部が芸能人と結婚したのか。日本人にはわかりにくいことかもしれない。だが、彼らと同時代を生きた中国人には容易に理解できることだ。

 私は上海出身の研究者で長年、政治家の経歴を研究してきた。共産党が支配する国の政治を理解するうえで経歴や人脈はとても重要だ。本稿では、これまでの中国や香港、台湾での報道や中国に住む知人からの情報を元に習近平の「私生活」に迫ってみたい。

 実は、彭麗媛とは再婚である。

 習は一九七九年に清華大学を出てまもなく二十六歳の時に駐英大使・柯華(かか)の娘、霊霊(れいれい)(玲玲とも)と結婚した。柯華は習の父仲勲(ちゅうくん)の元部下で、仲勲が西北地方の幹部だった時、その地域に住む少数民族を相手に交渉の仕事をしていた。英語ができたのでその後、外交官に転じたのだ。

 中国共産党では、高級幹部の子弟同士が結婚することは珍しいことではない。子弟は北京の同じ地域で育つので、習は、三つほど年上の霊霊を子供の頃から知っていた。

 結婚生活は約三年と短かった。原因は、霊霊がイギリスへ移住したがったからである。習は八一中学(軍関係の子弟が多い)に通ったが、霊霊は北京で唯一のロシア式教育を実施する一〇一中学を卒業した。この中学の制服は西洋風で、女生徒はスカート。世の中人民服ばかりの当時は珍しかった。父の仕事の関係でアフリカなどに住んだ経験もあり、子供とはいえ、当時としては珍しく海外事情に通じ、おそらく共産党のイデオロギーなどほとんど信じていなかっただろう。大飢饉の時代、学校で「いま北京で何が一番売れているか知ってる? 棺桶よ」と言ってクラスメートを驚かせたエピソードもある。背が高い美人で開放的な性格だった。

 結婚した頃、ちょうど父が駐英大使だったこともあり、「イギリスに移住しましょう」と言い出した。中国に明るい未来はないと誰もが思っていた時代だ。霊霊は留学を希望していた。

 だが習は、党中央軍事委員会の秘書という願ってもないポストに就いたばかりだ。政治を志す野心的な青年には、これ以上のポストはない。

 二人の間で「イギリスに行く、行かない」のケンカが絶えなかったという。習にしてみれば、七年間の下放生活で苦労したあとようやくたどり着いた中央での仕事だ。イギリスなどに行っている場合ではなかった。離婚後、柯霊霊は移住し、いまもイギリスに住んでいると言われる。