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木下昌輝×すっちー「江戸から盗め、笑いの秘訣!」

笑いに貪欲な二人が語る江戸の笑い、意外な新喜劇と小説の共通点。

 ――庶民に向けた“お笑いの芸”が生まれたのは江戸の元禄期。それまでお笑いは、大名などの特権階級だけが楽しめるものでした。

 作家の木下昌輝さんは、江戸時代、民百姓を笑わせるために大坂や江戸で芸を磨き、上方落語の祖となった米沢彦八(よねざわひこはち)の生涯を『天下一の軽口男』(幻冬舎)で描かれました。そしてすっちーさんは、吉本新喜劇の座長をつとめ、大阪のおばちゃんに扮した“すち子”のキャラクターや、“乳首ドリル”のギャグなどがお茶の間で大人気です。本日は、お二人に江戸から現代まで人々に活力を与えた“お笑い”をテーマに語っていただきたいと思います。

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木下 去年の二月、咲くやこの花賞の贈呈式でご挨拶して以来ですね。そのとき初対面だったのに「吉本新喜劇の座長ってどんだけ儲かりますか」と聞いてしまい、失礼しました。

すっちー 僕、何て答えてました?

木下 いや、吉本に取られるんであんまり……って濁されました。

すっちー まあそうですね(笑)。咲くやこの花賞は、今までの仕事を評価していただいた賞なので、漫才コンテストとは違った嬉しさがありました。前年も新喜劇座長の小籔千豊さんが受賞されて、二年続いて新喜劇に注目していただけました。

なぜ芸人をめざしたか

木下 僕は同じ年の受賞者にすっちーさんがいると聞いて興奮しました。私が書いた彦八は手習い小屋の頃から人を笑わせて銭をもらうと決めていましたが、すっちーさんは小さいときから芸人をめざしていたのですか。

木下昌輝「漫才も落語も設備投資がいらんからお笑いの道に進みたいと考えていた。」 すっちー「ギャグに決め事は作らない。ハプニングから生まれるネタの方が残るし、僕たちも楽しい。」©杉山秀樹/文藝春秋

すっちー 僕が芸人になろうと思ったのは20歳を過ぎてからです。僕はお笑いを始めるまで、勉強もスポーツも何一つ努力したことがなかったんです。車が好きだったので整備士になりましたが、すぐに辞めて、ガソリンスタンドでアルバイトをしてました。でも、このままでええんかなって思ってた。そんなときにNSC(吉本総合芸能学院)を特集した番組を見たり、当時つき合ってた女の子から吉本の本を見せてもらったんです。昔からふざけておもろいことやるのは好きやったし、やっぱり芸人は憧れの職業だったから、吉本に入りました。

木下 僕たち同年代ですが、バラエティ番組は何が好きでしたか。

すっちー 「8時だョ!全員集合」とか「オレたちひょうきん族」ですね。高校生のときはダウンタウンさん一色でした。漫才を始めた頃は憧れて真似をしてたんですけど、動かへんしぼそぼそしゃべるし、このスタイルはよっぽどおもろい人じゃないと無理やわって気が付きました。それから、動きでも顔でも使えるものは何でも利用して笑わしてきました。

木下 僕も高校のときに進路に迷いました。実家が大阪で町工場を営んでいて、近所で不渡手形が出たとか景気の悪い話をよく聞いて、設備投資のかからん仕事をしたいなって思ったんです。

すっちー それは分かりますわ。うちも商売人やったので、お父ちゃんもお母ちゃんも家にゆっくりおらへんかった。家に帰ってきても書類書いたり、常に宿題抱えてるようで大変やなって思ってた。今、芸人さんで商売する方が多くて「商いっておもろいで」って言わはるんですけど、お笑いは資本金要らんし、自分さえいればできるってすばらしい商売だと思う。

木下 実は僕も進路に迷った頃、漫才とか落語は全然お金がかからないなと思って、お笑いの道を夢にしたことがありました。テレビ番組の「ざこば・鶴瓶らくごのご」が好きだったんです。お題の言葉が3つ出されて、それを使って即興で落語を作るコーナーがあって、笑い話を作る過程が生で分かって興奮しました。

 “笑い”は、戦国時代は特権階級しか楽しめないものでした。大名のためだけの話し相手が"お伽衆(とぎしゅう)”として雇われて、秀吉らが勝手に笑っている。彦八が出てきた江戸時代に、ようやく庶民のための笑いが生まれて、江戸や大坂の庶民は、その芸で笑って日々のつらいことを忘れました。おおげさですが、僕も家の経営が苦しかったときに、笑いで救われたところがあるんです。

すっちー 新喜劇を見ていただいた方からお手紙をいただくことがあります。「ほんまに面白かったよ」っていうちびっ子だけではなく、大人の方でも「病気してたけど久しぶりに声出して笑って、小さなことで悩んでたらあかんわって思った」とか、あんま学校行かへん子が「新喜劇を見ているときだけは唯一笑えます」など書いてあると、ええ職業に就いたなと思います。最初から誰かを癒したいなんて構えてるわけではないですが、嬉しいですね。でも、物語を書く方って本当に尊敬します。僕は自分の文章力の無さがほんま恥ずかしい。ツイッターの投稿も、おかんのメールみたいな三行ぐらいの箇条書きで、最後に笑顔の絵文字を入れておくことぐらいしかできないんです。

木下 新喜劇の台本を作るときはどうされているんですか?

すっちー 僕を含めて座長は5人いるんですが、作り方はそれぞれ違います。僕の場合は作家さんに2、3行ぐらいの短い設定をたくさん書いてきてもらう。その中から、今まで演じていない設定や展開が広がりそうなものを選びます。例えば、「公園で赤ちゃんが捨てられていた」という設定を採用したとすると、次に、男女や親子の要素を入れようか、それともその公園に何かを捨てに来る人がたくさんおることにしようか、と打ち合わせをします。

 僕、正直何にもないところから考えるのが下手なんです。実際に小道具が目の前にあれば、こうしたらおもろいんちゃうの? っていう動作が浮かぶんですが、お芝居の設定とか、ゼロから世界を作る方には、ただただ感心です。彦八も咄(はなし)のひかえ帳を前にネタ作りに悩むシーンがありましたよね。彦八が読んでいた策伝和尚(さくでんおしょう)の『醒睡笑(せいすいしょう)』、僕も読んでみたいです。

木下 講談社学術文庫の『醒睡笑 全訳注』が、今読むと参考になるかな。僕は文章表現に悩んだとき、浅田次郎さんの文章を一文字ずつ全部写しました。でも、同じことをしたら勝てないと分かった。浅田さんは中国の漢文を基にした熟語を本文中に使うんですが、初めて見る言葉でも、物語を読むと自然と意味が分かる。教養がないと書けないし、ダウンタウンさんのギャグのように真似ができない技術でした。新喜劇では、セリフや展開で作家と座長の考えがぶつかるときはどうしていますか?

すっちー お笑いについては、僕ら座長の方がずっと長く取り組んでいるので、そういう場合は座長の意見を採用してもらいます。そして、話の設定が決まり「こんなことできたらおもろいやろな」って、ニヤニヤしながら考える時間が一番楽しいですね。そこから面白くするのって、人にいたずらとかサプライズを仕掛ける作業と近いんです。

木下 人の意表を突くのがすち子さんの芸風ですものね。