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菅野 朋子
2017/05/26

日韓関係に“刺さった棘” 対馬の仏像はいつ戻ってくるのか

文化財返還運動をするキーマンの「意見書」を公開

 2012年10月に韓国の窃盗団に盗まれた対馬・観音寺の「観世音菩薩坐像」はいまだ幽閉の身を解かれていない。

「この事件の仏像は原告(浮石寺)に奉安されるために制作されたことにより原告の所有である」

観音寺から盗まれた観世音菩薩坐像 ©共同通信社

 今年1月26日。韓国の大田地方裁判所(大田地裁)は窃盗により韓国に持ち込まれた「観世音菩薩坐像」(仏像)の所有権が韓国の浮石寺に認められるとする判決を出し、すわ浮石寺に奉安されるのではないかと日韓は騒然となった。

 懲役4年の実刑を受けた窃盗犯らはすでに出所したが、仏像はいまだに韓国に留め置かれたまま。しかも、現在は、所有を主張する浮石寺が自国の「韓国」を相手に保管中の仏像の引き渡しを求めて係争中、というなんとも奇妙な状況になっている。

 冒頭の判決はこの裁判の第一審判決で、韓国政府は即日控訴。仏像は引き続き、韓国の国立文化財研究所で保管されることとなり、裁判は第二審が進行中だ。

韓国国内でも「日本に返すのが筋」の声

 事件をよく知る韓国全国紙の記者が苦笑する。

「韓国政府にとってもこの事件は刺さった棘で、早く手放したがっていて、タイミングを見て仏像を日本に返す方向で動いていました。そこへまさかの裁判が起こされた。それでも大田地裁があんな判決を出すとは夢にも思わず、かなり慌てたようです。メディア関係者の間でも、保守・進歩問わず、あの判決には異議を唱えていて、日本に返すのが筋という声が大勢です」

 そうなのだ。この事件はそもそもが窃盗という刑事事件。本来ならば犯人の刑罰が確定すれば盗まれた物品は元の所有者へ戻されることが原則のはず、である。

 大田地裁の判決については、「政府の顔色を読み間違えた」や「個人的な誤った愛国心」などさまざまに解釈されたが、真の理由は分からない。

 事態がこじれにこじれる中、「この問題は早く解決すべき」としてこれまでも働きかけをしてきた、文化財の返還運動をしている韓国の慧門元僧侶が動き出した。

 日本は2011年、宮内庁にあった「朝鮮王室儀軌」(朝鮮時代の王室の主要行事について絵図を含め詳細に記した記録物)を韓国に引き渡したが、韓国で、これを返還させた立役者として知られるのが慧門元僧侶だ。

大田地裁への「意見書」を入手

 慧門元僧侶は、今度は、「浮石寺の主張を裏づける証拠は不十分」として、第一審判決を覆す内容をしたためた意見書を6月初めにも大田地裁に提出する予定だという。

 その意見書を入手した。

慧門元僧侶が地裁に提出予定の「意見書」

 大田地裁は第一審判決で、「過去に贈与や売買などの正常な方法ではなく盗難や略奪などの方法で日本の対馬所在の観音寺に運搬され奉安されたと見るのが相当」とし、その有力な根拠として腹蔵物(仏像の中に奉安された記録物など)にあった文書を挙げた。

「観世音菩薩坐像」の腹蔵物には、「高麗国瑞州浮石寺」と「天暦三年」と書かれた文書などが発見されている。これは1951年に観音寺によって発見されたものだ。

 大田地裁は、「韓国で仏像が補修や移安(他の場所に移すこと)が避けられない場合は、新しい記録と遺物を腹蔵する伝統が受け継がれていて、正常な交流で仏像が移転された場合は、腹蔵物を抜いて代わりにどこの寺で造られ他の寺に移安するという内容の記録物を入れるというのが専門家の見解」と専門家の証言を認め、先のような文書が腹蔵されたままであったことは「正常な方法で譲渡されたのではなく盗難や略奪されたため」と結論づけている。