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「平成」をテーマに現代写真家の作品を集めたら

「平成」をテーマに現代写真家の作品を集めたら

通底しているのは言葉にしがたい不安や閉塞感

2017/05/27

 日本は世界に冠たる「写真大国」といっていい。キヤノンやニコン、富士フイルム……と、市場をリードするカメラメーカーが揃っているし、人々の写真愛好ぶりも尋常じゃない。記念日はもとより日ごろから友だちと集まれば写真を撮り、おいしそうな料理が目の前にあれば撮影し、今日着た服のコーディネートが気に入ればすぐさま画像にしてSNSにアップする。

 だから、写真・映像分野に特化した東京都写真美術館が東京・恵比寿にあるのもたいへん納得がいくところ。世界的にも稀なこの分野の公立専門館、もっと注目されてしかるべき。いまなら、気軽に観て楽しめる展覧会が開かれているので、ぜひ立ち寄ってみたい。「『いま、ここにいる』平成をスクロールする 春期」と題された展示だ。

佐内正史〈生きている〉より 1995年

佐内正史、ホンマタカシ……。平成の写真家たちの代表作

 同館に収蔵されている3万4千点以上の写真のなかから、「平成」をテーマに作品をセレクトし、展示している。主に1990年代以降に撮られた写真表現ということになる。この時期にデビューし耳目を集めた写真家たちが出品しており、その顔ぶれは佐内正史、高橋恭司、ホンマタカシ、今井智己、安村崇、松江泰治、花代、野村佐紀子、笹岡啓子というラインアップ。

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 それぞれ異なった作風を持つ写真家ではあるけれど、平成という活動時期を共有しているからか、どこか同じ空気をまとっている面も見受けられる。たとえば佐内正史は、東京の住宅街のどこにでもありそうな街路の様子やガードレール、河川敷に並ぶサッカーゴールなんかを被写体にしている。ホンマタカシは東京周辺の郊外に広がる、とことん清潔ではあるけれどあまりにつるりとしてつかみどころのない風景を写真にした。安村崇は、みかんやホッチキスといったどの家庭にもありそうなものを、生活の匂いがしっかりする住宅のなかにぽつりと置いて、それらを鮮明に写して作品にする。

 

 総じてなんでもない場所、なんでもないものを撮る作品で、何を写し出そうとしているのか、テーマは何なのかは明確になってこない。花代や野村佐紀子にいたっては、ピントが合っていなくて画面全体がぼんやりとしていたり、暗がりで撮っているから像が鮮明でなかったりと、モノのかたちすら定かでないことも。

 このところカメラの性能は極限まで高まって、どんな状況でもくっきり、はっきり写すことができるようになっているというのに、ここに顔を揃えた写真家たちは、ものを克明に写し出すことにはほとんど頓着していないかのよう。プロとして写真撮影の技術を見せつけんとして、それを目的にする気はさらさらない。いかにもかっこよく「キマった」写真を得ようとしたり、ひと目であっと驚く被写体を探したりもしない。それよりも淡々とした日常の、小さい声をすくい上げることに意識を集中させている。

 

「平成」のポートレートが浮かび上がる

 それが、平成という時代の空気なのだ。そう言えるんじゃないか。阪神大震災やオウム事件、リーマンショック、そして東日本大震災。社会問題、経済危機、自然災害といろんな困難が生じた日本にあって、通底していたのは言葉にしがたい不安や閉塞した感じ。出てくるのは具体的な話よりも「いま、ここにいる意味は?」「いま、ここで何かできることがある?」といった漠とした問いばかりだ。

 写真は眼前にあるものを忠実に写し出すから、画面には時代の雰囲気が否応なく色濃く出てしまう。会場に並ぶ写真の数々が示している、美しいけれど行き先が定まらないふわふわとしたイメージは、まさに平成という時代のポートレートである。

 日本の現代史を写真からたどってみようと試みる展示に触れながら、自身が体験してきた時代にしばし思いを馳せてみたい。

 
「平成」をテーマに現代写真家の作品を集めたら

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