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佐藤 祥子
2017/06/11

大相撲がっぷりよつ座談会 佐藤祥子×南伸坊×能町みね子

17年ぶりの4横綱時代が到来し、
久々のブームに沸く大相撲。
好角家の3人が、今後の見どころ、
注目の力士、独自の楽しみ方を語る。

◆◆◆

佐藤祥子 このたび19年ぶりに日本出身の横綱が誕生して、大相撲人気に沸いていますが、おふたりはどう見てらっしゃいます?

南伸坊 周りに結構、稀勢の里(きせのさと)ファン、多いんですよ。僕は白鵬(はくほう)も鶴竜(かくりゅう)も日馬富士(はるまふじ)も――日馬富士は安馬(あま)の時から、応援してたんでね。だから、どうしても日本人の横綱っては思ってないと自分では思ってたんですけどね。こうなってみると、やっぱり日本人の横綱いいよなぁとよかったよかったって思ってますね。

能町みね子 私は茨城県牛久(うしく)市で育ち、稀勢の里と地元が一緒なんですね。だから彼に対してすごく思い入れが強かった。それまで、牛久からは力士がひとりも出ていなかったんです。まだ稀勢の里が本名の萩原で三段目だった16、7歳の頃、「牛久から力士が出たんだ!」と知り、ずっと注目していましたから。

左・佐藤祥子「稀勢の里が初優勝の時に現場にいましたが、記者が泣きながら原稿を書いているのに驚いた。」 右・能町みね子「まず番付下位の力士を見る楽しみを知ってしまった。『この中から超有名人が出るかも』って。」 前・南伸坊「一番熱心に見ていたのは栃若時代。家にテレビがないから、今川焼き屋さんに見に行くの。」©石川啓次/文藝春秋

佐藤 今回の昇進後、能町さんは雑誌の仕事で稀勢の里の実家まで行き、お父様を取材なさったとか。

能町 ええ、まずは地元の「あの店はどうなりましたかねぇ」なんて話から様子を伺いつつ(笑)。長年期待し続けて、去年あたりになると何度も優勝のチャンスを逃していた。「ああ、もうこの人は大関で終わるんだ。もうこれから期待するのはやめよう」と、諦めの境地に至っていたんですけれど。

 じゃあ、もう最高じゃないすか。

能町 実は今でも信じられないくらいで。

佐藤 わかる気がします。稀勢の里ファンは、何度も期待を裏切られていて耐性ができちゃっていた。期待しないようにしないように、見て見ぬふりをしよう、みたいな感じだったんですよね(笑)。

能町 それで新横綱の場所で逆転優勝っていうのが、また、たまらない。

 なんか“ロイヤルストレートフラッシュ”みたいな出来すぎだったよね(笑)。

さとうしょうこ 1967年生まれ。大相撲を中心とするライターとして「どす恋花子」名義でも執筆。著書に『秘伝!相撲部屋ちゃんこレシピ』等。 ©石川啓次/文藝春秋

佐藤 メンタルが弱いと言われていましたが、精神力がついてきたんですね。稀勢の里本人も、何度も優勝のチャンスを逃した昨年が特にいい経験になった、と言っていました。

能町 一時期、「まばたきパチパチ期」がありましたよね。その後に短い「謎の笑顔期」があって、最近は「めんどくさい期」に入って。めんどくさそうに相撲を取るんですけど、たぶんあれがリラックス法なんですよね。

佐藤 自分なりにそうやって試行錯誤していた1年だったんでしょうね。初優勝の時、取材者として現場にいたんですが、記者が泣きながら原稿を書いているのに驚いた。ケガを押しての新横綱優勝時は、土俵下で撮影しているカメラマンが、奇跡を見たようでシャッターを押す手が震えたなんていうほどだったんです。

 ああ、そういうカンジなんですね。伝わってきたかもしれないなぁ。北の富士さんも、かなり喜んでましたね。

佐藤 モンゴル勢包囲網のなか、ひとりで孤独に戦っているような、日本人が好きなストーリーを想起させるのが稀勢の里で。白鵬は、もう10年も横綱を張っていて4横綱時代になりましたけど、先輩横綱の力に陰りが見えるからこそ、それに勝って新しい横綱が生まれる。だから4横綱が揃って長く活躍するのは難しいんですよね。

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