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山内 宏泰
2017/06/03

常識を解きほぐす。4人の現代アーティストの競演

「存在」の揺らぎを感じる展覧会

 光が乱反射する水面や、微風に揺れる木立の葉群れ。精巧にカットされた宝石なんかもそうだけれど、人はとかくキラキラ、チラチラと揺らめき輝くものにすぐ心を奪われる。ビジュアルによって人の心を掴まんとするアートでも、揺らめき輝くものをどう表すかは大きなテーマ。そうした作品を集めたグループ展が東京・恵比寿のMA2 Galleryで開かれている。「ripple effect –through the surface」展だ。

織物をバラして「美」のありかを探る手塚愛子

 4人の現代アーティストが出品する展示で、たとえば手塚愛子の作品は、精緻な織物が途中から繊細な無数の糸の連なりへと変化している。いくつもの色が重なり合いながら垂れ下がっているさまに、うっとり見惚れてしまう。じつはこれ、細かく織り込まれたタペストリーを、ほぐして解いてしまっているのだ。一枚の織物をつくるのに、こんなにたくさんの糸が使われているとの事実に、改めてびっくりさせられる。

手塚愛子 《Seep Out 2017-02》

 いったん完成された織物が元の姿に逆戻りさせられているのだから、どこか無残な感じもするけれど、素材そのままでもこんなに美しいのだとも感じ入る。そのきらめく素材を、人は膨大な手間と時間をかけて、違う美しさを持つ織物に仕立て上げる。ずいぶん不思議な営みをしているものだ。でも、それがアートと呼ばれるのであれ、工芸品とみなされるのであれ、人の手が生み出したものはやっぱり愛おしくて尊いとも実感する。

誰かのようで誰でもない人物像を生み出す田口和奈

 田口和奈の作品にも、訳がわからぬまま惹きつけられる。鈍色の画面に、ぼんやりと白い像が浮かび上がっている。コップ、だろうか。像がぼやけていくつか重なっても見えるので、コップの存在自体が揺らいでいるように感じられる。

 女性の顔がアップで写された作品もある。整った顔立ちで、何かの映画に出ていた女優だったかしらと考えを巡らせてしまうものの、記憶を探ってもぴたり当てはまる名前は浮かばない。

田口和奈 《you are a mirror, reflecting me》 

 見たことがありそうなのに、まったく知らない人物。それはちょうど、レオナルド・ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》や、フェルメールの《真珠の耳飾りの少女》といった名画に描かれた女性のことを、像は見慣れているからよく見知っている気になるけれど、考えてみればその人物についてこちらは何も知らないし、描かれた人が実在したかどうかもわからないのだと、ふと気づきびっくりする感覚に似ている。

複雑な創作工程を経て、像の存在が揺らぐ

 田口が生み出すのは、写真とも絵画とも言いかねる作品である。人物像をつくる場合、彼女はまず収集している雑誌などの切り抜きや、蚤の市などで手に入れた名もなき人の写真を取り出してきて、輪郭や顔のパーツごとに幾枚もの写真を組み合わせ、架空の人物をつくり上げる。その人物像を今度は自分の手で絵に描き、さらには完成した絵を写真に撮って作品に仕立てる。

 だから、わたしたちが対面しているモノは写真ということになるのだけれど、それは田口が描いた絵を撮ったものなので、彼女の絵画を見ているともいえる。ただし、そこに写された人の顔は、そもそもこの世に存在していないものでもあり……。複雑すぎて、いったい自分が何を見ているのか、目の前にあるこの作品がいったい何なのか、よくわからなくなってくる。

 ふだんわたしたちが「見ている」「知っている」と信じていることがらは、ちょっと考え直してみるとこんなに不確かなのだと思い知らされる。観る側の気持ちが揺らぐから、田口作品を前にすると誰しも落ち着かない気分になって、画面自体も儚く揺らいでいるように感じられるのだ。

 会場のそこかしこには、袴田京太朗によるオブジェも置かれている。

袴田京太朗 《体操》

 人型にかたどられて、アクリル板を幾層にも重ねてできているので眺める角度によってきらめきが変わってくる。

 そして、光をそのまま描写したかのような中西夏之の絵画も並ぶ。4人のアーティストの作品がいくつもそこにあるというのに、はっきりたしかに見えるものは何ひとつないじゃないかとの気分に襲われる。すべては観る側の心持ち次第。そんな不思議な体験を、ぜひ実際に会場で味わってみたい。

中西夏之 《4ツの始まり – omori》