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「戦車男」から「民主の女神」まで、天安門事件関係者たちのいま

28年――あまりにも長い、事件後の年月

2017/06/08

genre : ニュース, 国際

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2.ウイグルの闘士 ウアルカイシ

 天安門当時、日本国内で柴玲と並ぶ知名度を誇った学生リーダーがウアルカイシ(吾爾開希)だ。ちなみに彼はウイグル族なのだが、北京生まれの北京育ちで母語も中国語、生活習慣もほぼ漢民族と同じである。2015年9月に私(安田)が本人に取材した際には「ウイグル語よりも英語のほうがまだ上手いかもしれない」ときれいな中国標準語で喋っていた。

 往年、ウアルカイシの印象を決定づけたのは、1989年5月19日に政府当局者と学生リーダーたちが対話をおこなった際に、病院からパジャマ姿でやってきて現役の総理の李鵬を相手に猛然と噛み付いてみせたことだ。当時の彼はモデルばりのイケメンで、弁舌の才が際立っていたことからカリスマ的な人気もあった。受け答えにユーモアがあったことや外見のかっこよさから、海外メディアからの人気も高かったという。

 もっとも、その後のウアルカイシはやはり天安門当時ほどのきらめきはない。彼は事件後にフランスに亡命し、1989年9月に在外中国人の民主化運動組織「民主中国陣線」を旗揚げして副主席に就任したものの1年足らずで離脱。これと前後してアメリカに渡り、一時は派手な生活態度などがメディアに批判されたこともあった。やがて1996年に台湾人女性と結婚し、1999年に台湾に帰化。現在は台中市でITや金融関係の仕事をしている。ビール好きで知られ、いつの間にかおじさん体型になってしまった。

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2015年9月、台湾台中市内で取材を受けた当時のウアルカイシ(筆者撮影)。

 2009年6月、中国当局との対話と中国国内にいる親族との面会を求めて、あえて「自首」と称してマカオから中国国内に入ろうとするも強制送還。訪日中だった翌年6月4日にも、元麻布の中国大使館の敷地に「自首」と「対話」を求めて侵入し、日本側の警察に住居不法侵入容疑で逮捕されている(のち不起訴)。いずれも本人としては入境拒否や拘束を最初から覚悟したうえで、天安門事件の発生日前後に世界の耳目を集めることを目的としておこなった行動らしいが、その手法については賛否両論がある。

 ウアルカイシは台湾でも追悼集会に参加したり取材を受けたりと、元天安門闘士としての活動は継続中。いっぽう、2004年から何度か台湾国内で立候補(最新は2016年立法委員選)して政界入りを目指したが、いずれも落選している。