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【西武】80~90年代の黄金カード「LG決戦」の記憶

交流戦 指名対決 テーマ「80〜90年代の黄金カードLG決戦」 文春野球コラム ペナントレース2017

2017/06/07

巨人を意識していた広岡達朗監督

 1982年の日本シリーズで中日を破り、球団創設4年目で初の日本一に輝いた西武ライオンズ。胴上げされながら広岡達朗監督の脳裏には「これが巨人相手なら」が、浮かんでいました。そして、早くも翌年に実現。なぜ、巨人? 詳細は分かりませんが、巷間伝わっていたのは「巨人を追い出されたから」。

広岡達朗監督と森祇晶バッテリーコーチ ©文藝春秋

 83年10月29日、西武ライオンズ球場で迎えた第1戦。田淵幸一が法大後輩の江川卓から3ランを放ち、試合を決めました。「後輩から見事に……」の質問に、「アイツは二部(夜間)だから」との過激な発言が強く印象に残っています。第2戦は西本聖に完封負け。舞台を後楽園球場に移した第3戦は、9回ウラ、森繁和(現中日監督)が駒大先輩の中畑清にサヨナラ打を打たれ連敗。試合後の広岡監督は「シゲ(森)は(学生時代に)中畑にボコボコにされていたからでしょう」と。昔の大学野球部のタテ関係を知らしめたここまでの戦いでした。

 5試合戦った時点で巨人が3勝2敗と王手。その夜のミーティングで広岡監督はマイクを持つと「カラオケはないの?」とひと言。普段、冗談を言わない監督の口から出た言葉にナインはリラックスできたと聞きました。その後、6、7戦の展開を語り「西武が優勝するんだ」と暗示をかけたそうです。

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 そして、地元に戻っての第6戦は9回表を終わって3対2と巨人がリード。私がリポートしていた1塁側のカメラマン席は「日本一の瞬間」を撮るため、脚立が林立しザワザワと異様なムードになっていました。しかし、同点に追いつき、延長10回ウラに金森栄治の左越えでサヨナラ勝ちし逆王手をかけました。

 こうなりますと流れは西武。第7戦は先制されながらも7回に満塁からテリー・ウィットフィールドの走者一掃の逆転2塁打。この時、1塁走者の大田卓司が3塁ベースを回ったところでバランスを崩し、近藤昭仁3塁コーチと接触しそうになりました。つい最近、5月19日の西武対ソフトバンク戦で、3塁を回ったアルフレド・デスパイネが村松有人3塁コーチと接触してアウトになりましたが、この時、この34年前のことを思い出したものです。話がそれてしまいましたが、結局この試合、最後は東尾修が締めて待望の「巨人を倒しての日本一」が実現しました。

日本一になった際に球団が作成していた写真集 ©中川充四郎
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