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木嶋佳苗を怒らせた、虚実の間から生まれた“貪欲な女”の物語

東えりかが『BUTTER』(柚木麻子 著)を読む

2017/06/13
『BUTTER』(柚木麻子 著)

 木嶋佳苗が怒っている。「首都圏連続不審死事件」あるいは「婚活殺人事件」で、最高裁で死刑が確定した犯人だ。支援者によって公開されているブログにはこう書かれている。

 ――この本の主人公は、木嶋佳苗ではありません。私は、柚木を知りませんが、柚木も私を知りません。

 その柚木麻子による本書は一“読”瞭然、この事件がモチーフである。

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 結婚詐欺の末、男性三人を殺したとされる容疑者・梶井真奈子、通称カジマナ。事件が発覚すると、世間は若くも美しくもない太り気味の女性がなぜそんなに男から貢がれ自信に満ちているのか、男は興味本位に、女は男受けする秘密を知りたいと熱狂した。週刊誌記者の町田里佳もそのひとりだ。新しい側面を記事にしようと直接取材を敢行する。

 拘置所で面会をしたカジマナの食に対するこだわりやとびきりの自信を作り上げた家族や成長環境に接するうちに、里佳は、ある時は解放され、ある時は束縛されて変貌していく。その変化は彼女の友人や恋人、家族をも巻き込み、生活は一変した。

 女性の心の奥底に宿る悪意や闇を描く作家が着想を得た木嶋佳苗事件。だがキジカナとカジマナは全くの別人だ。

 木嶋佳苗の自伝的小説『礼讃』を読んだとき、彼女の異常なまでの研究熱心さに驚愕したことを覚えている。食だけでなく文化や歴史、経済などを貪欲に学ぶ真面目さを違う方面で生かしていたら、きちんと成功を収めていたかもしれない。

『BUTTER』はその真面目さの一つの断面を小説として広げ作り上げていった。柚木麻子の手腕は見事だ。ねっとりとした本の紙の質が食べ物の描写のくどさを倍増させる。これは紙の本でなくては出会えない感触だった。

 この本に出てくる女たちと自分は違うと読み終わった後、スーパーマーケットでカルピスバターを手に取っていた。物語に絡め取られていたのかもしれない。

ゆずきあさこ/1981年東京都生まれ。2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」(『終点のあの子』所収)でオール讀物新人賞受賞。15年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞受賞。『嘆きの美女』など著書多数。

あずまえりか/1958年千葉県生まれ。書評家。書評サイト「HONZ」副代表。「小説すばる」「新刊展望」などで書評を担当。

BUTTER

柚木 麻子(著)

新潮社
2017年4月21日 発売

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木嶋佳苗を怒らせた、虚実の間から生まれた“貪欲な女”の物語

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