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ろう者の母の声は、世界で私と弟だけが聞き取れるもの――コーダの世界(3)

イギル・ボラ(映画監督)×丸山正樹(小説家)

コーダの世界(2)より続く 

 ろう者やコーダ(Children Of Deaf Adultsの略で、聞こえない親をもつ聞こえる子供のこと)を描く、という共通項を持つ二人のクリエーター。『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』(文春文庫)の著者・丸山正樹さんと、公開中のドキュメンタリー映画『きらめく拍手の音』のイギル・ボラ監督の対談、最終回。

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それぞれにとってのデフ・ヴォイス

丸山 私の方はタイトルにもしていますし、ボラさんの映画の中にも、何度か印象的にご両親の声=「デフ・ヴォイス」が出てきます。

『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』(丸山 正樹 著)

ボラ 私にとって、両親のデフ・ヴォイスはとっても大切なものです。子供の頃の話ですが、両親が商売をしていて、母が一人で店に出ていた時があったんです。その時、私は家にいたんですが、急に母が電話をかけてきて、「ボーア、ホーハーハー、ハーハーハー」って言ったんです。

丸山 ろう者の出す声は独特で、聞きなれない人には聞き取りづらいことが多いですね。

ボラ はい。でももちろん、私にはすぐに母だと分かりました。何と言っているかも分かった。「ボラ、お弁当持ってきて」。そう言っていたんです。こういう母の声は、世界で私と弟だけが聞き取れるものなんだと思いました。そんな記憶があって、だから私にとって「デフ・ヴォイス」、母の声はとても大切なものなんです。

 丸山さんの小説でも、とても大事な場面でデフ・ヴォイスが登場しますよね。それに対してのコーダの感情を本当に正確に表現していて、驚きました。

丸山 デフ・ヴォイスという言葉は、日本でも一般的ではないんですが、いくつかの書籍に出てきて、ハッとしました。実は、ずっと以前に、町の中でろう者が声を発しているのを聞いたことがあったんです。正直言うと、聞いてはいけないものを聞いたような気がしました。小説の中で、子供を呼ぶろう者の母親と、それを遠巻きにする通行人が出てくるんですが、いわば私はその通行人だった。しかし、「ろう者」や「コーダ」について深く知っていくうちに、そういう通行人であった自分を恥ずかしいと思い、むしろデフ・ヴォイスを誇るような気持になった。これをタイトルにしようと決めました。

タイトルに込めた思い

丸山 実は小説のタイトルとしての「デフ・ヴォイス」には三つの意味があるんです。

 一つは、そのまま「ろう者の声」。もう一つは「声」そのものではないですが、ろう者にとっての言語である「手話」ということ。最後の一つには、ろう者に限らず、言いたいことがあっても圧倒的な多数の前にあってその声が社会に届きにくい社会的少数者の声、という意味もこめました。

「きらめく拍手の音」というタイトルにも共通するものを感じます。つまり、私の場合は、本来発せられることの少ないろう者の「声」。ボラさんは、やはり本来ろう者が聞くことのない「音」という言葉で、しかし彼らの世界を象徴させている。

ボラ ろう者は手を叩いても聞こえないので、拍手の時は手を挙げてひらめかせます。そういうろう者やコーダの「きらめく世界」に聞こえる人を招待したい、そういう思いをこめました。

丸山 とても良いタイトルだと思います。

映画『きらめく拍手の音』より。
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