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佐藤 伸行
2017/06/15

慰安婦問題、アメリカの“粗雑な歴史認識”の背景とは?

旬選ジャーナル 目利きが選ぶ一押しニュース

▼〈「慰安所」はナチの収容所と同一視されていた〉「新潮45」6月号(筆者=有馬哲夫)

 日本人を苛み続ける慰安婦問題。時の流れは早いもので、二〇〇七年七月に米下院が対日謝罪要求決議を採択してから今年でちょうど十年になる。当時、ワシントン駐在記者だった私は、アメリカが持つ対日観の根底にある冷厳さ、日米間に横たわる越えられない溝を痛感したものだ。

 決議案採択を何とか阻止できないかと、わが国の保守層の論客がワシントン・ポスト紙に意見広告を出し、慰安婦募集に際しては軍の強制がなかったことなどを訴え、「性奴隷国家」の汚名払拭を試みたが、残念ながら逆効果で、民主党主導の下院外交委員会はかえって態度を硬化させた。慰安婦問題で反論すればするほど、アメリカでは「逆行」と受け取られ、かえってわが国の立場がまずくなるという蟻地獄のような図式が十年前、既に出来上がっていた。

米下院外交委員会の公聴会で謝罪要求の決議案可決を訴える3人の元慰安婦 2007年2月15日 ©共同通信社

 当時、下院外交委員長を務めていた民主党のトム・ラントス議員(故人)は、対日強硬派の急先鋒だった。意見広告が出された直後には怒りを滲ませ、「何千、何万人もの主に中国、韓国の女性が性奴隷の境遇を強いられた」などと、問答無用と言わんばかりに旧日本軍を断罪していたのが記憶に残る。ハンガリー生まれのユダヤ系移民であるラントス氏は、ナチスによるホロコーストの生き残りだった。そのため、日本側の反論を「歴史修正主義」と見做し、強い拒絶反応を示すのだと言われていた。

 しかし、だからと言ってホロコーストと慰安婦問題は同列視できないはずだ。

 ホロコーストを絶対無比とし、他の人道・戦争犯罪との比較を認めない歴史認識を持つ戦後のドイツ人なら、そのような相対化にむしろ嫌悪感を覚える。ところが、アメリカではラントス氏に限らず、ナチスの強制収容所と慰安所を同一視する粗雑な歴史認識がまかり通っている。

 その本当の理由を説明したのが、「新潮45」に掲載された有馬哲夫氏の優れた論稿である。「ナチス戦争犯罪・帝国日本政府情報公開法」を持つアメリカでは、慰安所はナチスの強制収容所、強制労働施設、絶滅施設と同じカテゴリーのものと見做され、情報が集められていたのだ。

 そもそも、その法律の成立過程が興味深い。クラウス・バルビー(「リヨンの虐殺者」)ら大物ナチス戦犯が戦後、アメリカへの協力と引き換えに訴追されずにいたことにユダヤ系米国人が非を鳴らし、そうした中でナチス戦犯からアメリカ市民権を剥奪し、国外追放するよう一九七〇年代末に法律が修正された。九八年には、CIAが蓄積していたナチス戦犯情報を公開させるための法律が定められ、二〇〇〇年にはこれに日本の情報も加えられることになった。訴追されなかった戦犯に社会的制裁を科す目的である。

 そして公開すべきCIA情報の対象にわざわざ日本帝国を加えた以上、ナチスの収容所と類似したものを日本側に見出したいという欲求がアメリカには根強く存在し、それに最も合致する格好のシステムが慰安所であったということになる。ここでは、慰安所に関する事実関係の説明はもはやアメリカにとって説得力を持たない。アメリカが打倒した日本帝国の悪の象徴として、慰安所をめぐる叙述法は定まっている。それが変わらない限り、日本側の反論が受け入れられることはない。

 ではどうすればいいのか。これに対して有馬氏は、高齢の慰安婦に支援を続けながら、「女性に対する暴力」の問題で国際的にリーダーシップを発揮し、ネガティブなイメージの払拭に努めることが重要だと説く。やるせない思いだが、確かに、いましばらくはその一手しかないのだと納得する。