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連載高野秀行のヘンな食べもの

高野 秀行
2017/06/13

“世界で一番臭い魚”の“奥深さ”――高野秀行のヘンな食べもの

イラスト 小幡彩貴

「世界一臭い食べ物」こと、シュールストレミング。塩漬けのニシンを発酵させたこの缶詰を食べるパーティを行ったのだが、一年の常温放置がたたり、発酵が進みすぎて中身が完全に溶けて空っぽになっていた――というのが前回の話。

 悔しいので、ネット通販で新たに缶詰を入手し、リベンジ大会。場所は前回同様、荒川沿いのバーベキュー場。二回目なので手際よく缶詰を開けると、魚がちゃんと詰まっていたが、今度は別の意味で驚いた。

「あれ、臭くない……」

 前回は「排泄物の匂い」とか「人間の本能に訴える危険な匂い」と顔を歪めていた友人たちが「今日のは臭いけど食べ物の匂いって感じがする」と口を揃える。前回の缶詰はどうやらスウェーデン人も経験しないほどの過剰発酵で、悪臭もマックスだった可能性が高い。

 といっても、今回の缶詰もタダモノじゃない。瞬時にどこからともなく、巨大な黒いハエの群れがブンブン押し寄せてきたのだ。東京でこんなハエを見たことがない。しかもハエは焼肉など他のパーティ料理には一切近寄らない。発酵魚のみ。やはり腐臭がするのか。

 ハエの群れを追い払いながら、試食。魚はまるで生のようで、ふつうのテーブルナイフではぬめぬめして切りにくい。赤々とした肉はとてもしょっぱい。一言でいえば「臭いアンチョビ」。正直、これなら素直にアンチョビを食べた方がいいと思ってしまった。

発酵ニシンは意外に生々しい

 正肉よりタラコのような風味の卵巣やとろとろのクリームみたいな精巣の方がうまい。味つけしてないマッシュポテトに混ぜるとちょうどいい。

 他の参加者の感想はどうか。「塩辛みたい」というコメントがいちばんマシで、あとは「生の川魚にかみついたみたい」「飲み込むと喉にウッとくる」とか「もう二度と食べたくない」など、総じて評価が低い。

 発酵で臭いのはわかるとして、生臭いのが気になる。しかし私たちは先祖代々、魚を食ってきた民族。このしょっぱくて中途半端に生っぽい魚を放っておけず、さまざまに工夫を凝らした。

 例えば、友人の作ってくれた「アボカドの卵黄がけ」や「中華風おかゆ」といった料理に少量混ぜるとアクセントがついて美味しくなった(気がした)。これはアンチョビや魚醤の使い方に似ている。

 もう一つの工夫は「加熱」。身から丁寧にはずした骨を網焼きにすると実に香ばしく、こちらは珍しく全員一致で「美味しい!」。魚の身はまだたくさん乗っているのに、骨はあっと言う間に皿から消えた。

 参加者の一人である清水克行・明治大学教授(日本中世史専攻)がこれらの品をぱくつきながら「なんだか室町時代の『間物(あいもの)』を思い出しますね」と言う。間物とは「鮮魚と調理した魚の中間」的な意味で、塩魚や干し魚も含まれる。他に「合物」「相物」さらには「四十物」とも書き、つまりそれだけ多種多彩な魚の中間加工品が存在したということだ。例えば、内陸の京都には新鮮な魚は届かず、海魚はもっぱら間物だったという。

 なるほど。もし室町時代ならシュールストレミングも間物の一種に数えられただろう。「生っぽい発酵」とは、生魚にできるだけ近い状態で食べたいという意志の表れかもしれない。間物なら火で炙ってもいいし、生魚のジューシーな食味も楽しめる。現代人の私たち以上にご先祖様は工夫を凝らしたにちがいない。もしかしたら、室町時代の京都人は浅く発酵させたシュールストレミング似の魚を食べていたのかも……などと思うと、この臭い魚にも何か奥深さを感じてしまうのだった。

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