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山田 隆道
2017/06/13

【阪神】「西武よりヤクルトのほうが怖い」1985年の日本シリーズは池田親興発言の記憶とともに

交流戦 指名対決 テーマ「1985年の日本シリーズ」 文春野球コラム ペナントレース2017

1990年代に「ダメ虎vs最強獅子」が実現していたら?

 セ・パ交流戦もいよいよ最終週を迎えた。私が応援する阪神は、今夜から西武との3連戦。そこで、この文春野球コラムペナントレースでも西武担当の中川充四郎さんと対戦形式で寄稿しあうことになった。1976年生まれの私にとって、西武といえばやはり80年代から90年代にかけての黄金時代が強烈な印象として残っている。

 とりわけ90年代は阪神が暗黒時代真っただ中だったから、余計に西武が強大なチームに見えたものだ。もしもあのころに交流戦があって、「ダメ虎vs最強獅子」の真剣勝負が実現していたら、いったいどんな展開になっていたのだろう。

 時は90年代前半。西武が誇る秋山幸二、清原和博、デストラーデのAKD砲に立ち向かうマイク仲田(幸司)、猪俣隆、湯舟敏郎、中込伸……といった阪神投手陣。工藤公康や渡辺久信といった西武のエース級に対峙する和田豊、亀山努、新庄剛志、久慈照嘉……といった阪神打線。うーん、まったく勝てる気がしない。92年の阪神は暗黒時代にあって唯一“確変”を起こして優勝争いを演じたため(結果は2位)、西武との日本シリーズを少しは想像したことがあったのだが、あまりに現実感がなくて、よくわからなかった。

 なお、その翌年に阪神の右のエース格だった野田浩司がオリックスに移籍し、西武戦でも快投するなど、パ・リーグ最多勝に輝いたことがあった。また、清原が巨人に移籍して以降、当時の阪神・藪恵壹と死球を巡る因縁対決を繰り広げたこともあった。

 それらは長く厳しかった阪神暗黒時代にあって、最強西武の香りをわずかながら感じられる出来事でもあった。のちに西武のリリーフ投手だった谷中真二や杉山賢人が阪神に移籍してきたとき、私は元西武という看板だけでなんとなく期待してしまったことを覚えている。あのころ、西武の2文字はまちがいなくブランドだった。

1985年の日本シリーズ「阪神vs西武」の思い出

 そんな中、文春野球の運営から今回のコラムテーマが発表された。なんでも「1985年の日本シリーズ」だとか。ああ、なるほど。阪神と西武の縁といえば、やっぱりこれか。

 ご存知、阪神が球団史上唯一の日本一に輝いた85年、日本シリーズで撃破した相手は西武だった(4勝2敗)。この事実は90年代の暗黒時代に阪神を応援していた私にとって、誇らしい出来事でもあった。黄金期の西武は日本シリーズでも圧倒的に強く、当時のセ・リーグ覇者がなかなか勝てなかったから、そんな西武を破ったのは我が阪神だという過去の栄光に寄りかかっては、負け犬根性が染みついた自分を慰めていた。

1985年、セ・リーグ制覇を祝う掛布雅之(中央)と真弓明信(手前) ©文藝春秋

 特に90年の「西武vs巨人」の日本シリーズで巨人が西武に四タテを食らったときなんか、当時の私は巨人ファンの父と姉(山田家は大阪にありながら、なぜか私以外みんな巨人ファン)に向かって「まあ、阪神は5年前に西武に勝ってるけどね」という見苦しい自慢をしたことを覚えている。その年の阪神はセ・リーグ最下位で、しかも対巨人戦は6勝20敗と大惨敗していたにもかかわらず、そこだけは勝った気になっていた。

 しかし、である。コラムとして「1985年の日本シリーズ」について書くとなると、極めて難しくなってくる。なにしろ、私は先述したように76年生まれだから、あの年はまだ小学校3年生。対する西武担当の中川さんは51年のお生まれだから、85年にはすでに文化放送ライオンズナイターのコメンテーターを務めていらっしゃる。

 正直、思い出を語るにはあまりに立場がちがいすぎるだろう。当時すでにバリバリのインサイダーだった中川さんと、ただのチビッ子虎ファンにすぎなかった私。掛布雅之のことが大好きで、彼のバッティングフォームや三塁守備での砂を舐める動作のマネをしていたチビッ子時代。はてさて、あのころの私はどんな気持ちで「阪神vs西武」の日本シリーズを見ていたっけ? 小学校の教室でテレビ中継を見た記憶はあるけれど。