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【西武】1985年、甲子園で圧倒されて広岡ライオンズは終わりを告げた

交流戦 指名対決 テーマ「1985年の日本シリーズ」 文春野球コラム ペナントレース2017

2017/06/13
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日本シリーズ敗退からの広岡監督退任

 この日から6日後、広岡監督の退任が発表されました。選手たちがこの知らせを聞いたのが、上越方面に体のケアに向かう途中、関越自動車道のサービスエリアでのバスの中。車内は大きな歓声に包まれたそうです。これは、厳しい管理野球から解放されることが一番の要因でしょう。チーム内に「アンチ広岡」が存在していたのも事実です。

 しかし、この85年のメンバーでは東尾修、石毛宏典、伊東勤、秋山幸二、渡辺久信、田辺徳雄、大久保博元、工藤公康、森繁和、辻発彦と10人が監督に就任しています。そして、指導者としての心がけなどを聞かれると「広岡野球」を必ず挙げています。現役の選手時代は厳しくされても、自身が年齢を重ね指導者としての道を歩むことになった時、広岡監督の指導した野球が「本物」と認識できたからでしょう。

広岡ライオンズの主力だった石毛宏典(奥)と秋山幸二(右) ©文藝春秋

日本シリーズとドラフトの因果関係の始まり

 さて、このオフに行われたドラフト会議。1位指名にはPL学園の清原和博に西武、阪神、中日、日本ハム、南海、近鉄の6球団が競合し、抽選の結果見事に交渉権を獲得したのが西武。前回「98年横浜との日本シリーズ」で松坂大輔の獲得でも触れましたが、日本シリーズで敗れると甲子園のスーパースターをドラフトで獲得できる、という歴史はこの年が始まりなのです。ちょっとオーバーですが。

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 あれから32年。お互い日本シリーズには進出しているのですが、直接対決はありません。まだ、シーズン折り返しにも行っていませんが、現在のチーム状態から、もしかすると? の気持ちも芽生えています。辻発彦監督はヤクルト、横浜、中日と、選手、コーチとしてセ・リーグの経験も豊富で熟知しています。どんな策を講じるか、は早すぎますか。

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