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非自民政権樹立の立役者
労働界の“ラスボス”逝く

source : 週刊文春 2016年4月28日号

genre : ニュース, 政治

戦時中は海軍の予科練に志願した
Photo:Kyodo

「労働界の荒法師」と呼ばれた初代連合会長、山岸章氏が86歳で亡くなった。1993年の非自民連立政権誕生をはじめ、政界に大きな影響を与え続けた労働界の“ラスボス”だった。

 大阪市生まれの山岸氏は20歳の時、全逓富山地区本部執行委員を振り出しに労働運動をスタートした。「俺が富山で名をあげたのは徹底的な共産党つぶしだった」と本人が振り返っていたように反共・現実路線は一貫していた。

 日本電電公社の労組、全電通の幹部となると、三木内閣時代のスト権ストで公労協代表幹事として労働側のスポークスマンに。82年には全電通委員長となる。NTT民営化とバブル経済で全電通の財政は潤沢で、当時を知る労組幹部は「カネの面では自治労、日教組といえども山岸全電通にはかなわなかった」と懐かしむ。NTTの賃上げでは、山岸氏が首を縦に振らない限り妥結しないとあって、経営側はだんまりを決め込む。

「政治部好きの山岸氏が妥結前日、記者に金額、妥結の時間まで説明し、その通りになっていた」(同前)

 民間労組と官公労、総評と同盟が合体した連合発足にあたっては会長を狙ったが、アクの強い山岸氏への拒否反応は出身母体の総評で強かった。山岸氏は密かに頭を下げて回り、全電通と兄弟組合の全逓トップが「血は水より濃い」と支持に回ったことで大勢が決した。

 念願の連合会長となると「政界再編の起爆剤になる」と号令を発し、社会党に何度も現実路線への転換、民社党との合流を呼びかけたが不発に。業を煮やした山岸氏は自民党との接触を深め始める。そして小沢一郎氏とともに細川政権をつくった時、山岸氏は「首相官邸が自分の家になった」と手放しで喜んだ。

 だが、当時の非自民政権の中心人物、公明党の市川雄一書記長と折り合いが悪く、社会党の村山富市委員長とも疎遠だった。自民、社会、さきがけ3党による村山政権の誕生には「社会党左派のクーデターだ」と憤慨したが、山岸氏の時代は終わっていた。

 最近の連合に「賃上げを官邸にやってもらうなんて、もってのほか。政権交代で民主党べったりになった。俺なら自民党ともうまくやっていた」と苦言を呈すなど山岸節は変わらなかった。反共路線を、亡くなるまで変えなかった山岸氏にとって、共産党との選挙協力にのめりこむ民進党も歯がゆかったに違いない。

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