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森岡 英樹
2017/06/16

三菱UFJ銀頭取、異例の退任劇 背景にあった会長と相談役の対立

プリンスと呼ばれた小山田氏だったが… ©共同通信社

 三菱東京UFJ銀行の小山田隆氏(61)の頭取辞任劇が今の三菱内で波紋を広げている。体調不良が理由だが5月上旬、小山田氏と会った金融界首脳は「体調が悪いようには見えなかった」と明かす。

「そこでメンタル説などさまざまな情報が乱れ飛んでいます」(金融関係者)

 中でも、小山田氏が苦労していたと言われるのが、平野信行会長(65)と永易(ながやす)克典相談役(70)の対立だ。

 三菱は、会長が退任する際、次期頭取を指名し、現頭取が会長に昇格するという、会長―頭取の二頭体制をとってきた。

「プリンスと言われてきた小山田氏を頭取に指名したのが、永易氏です。一方、永易氏と平野氏は、会食で同席しても一言も口をきかないほど、仲が悪いのは有名な話」(同前)

 その両氏がぶつかったと言われるのが、平野氏が進める三菱UFJ信託銀行の法人融資を分離し、三菱東京UFJ銀行に統合する機能別再編だ。

 信託業界の盟主を自任する三菱UFJ信託銀行の社員からは怒りの声が噴出し、役員会でも反対論が出たという。

「実は、永易さんは信託には思い入れが強い。永易さんは、一度三菱を退職して日本信託銀行の常務に転出した。これで出世コースから外れたと見られていました。永易さんは、その退職金を飲み会で使い果たしたと言われるほど、日本信託の社員と胸襟を開いて付き合った」(三菱関係者)

 そして、難題とされた日本信託と三菱信託の統合を実現させ、現在の三菱UFJ信託銀行へと繋がっていく。

「これで三菱本体に返り咲いた永易さんは頭取、会長と逆転を果たした」(同前)

 一方の平野氏は国際派だ。

「会話の端々に英語が飛び出す合理主義者。言葉を荒げるようなことはないが、緻密で論理的に相手を追い詰めるようなところがある」(同前)

 さらに、平野氏は金融庁が進める相談役の仕事内容や個別報酬の開示をテコに、永易氏ら相談役の影響力排除を狙っていたとの見方もある。

「頭取に指名してくれた永易さんは、小山田君にとって親のようなもの。国内畑で調整型の彼は、信託の融資召し上げや相談役問題で板挟みとなり苦悩したはずです」(同前)

 頭取退任に平野会長の責任を問う声も高まっている。

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