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松尾 諭
2017/06/25

「拾われた男」松尾諭  #4  「下井草の事故物件で自分の悲鳴に泣いた日」

 おばけを見たことは一度もなかったけれど、子供の頃からとても怖がりだった。

 小学生の時、ゲゲゲの鬼太郎が実在するという話が校内を賑わした。鬼太郎は日本全国津々浦々に姿を変えて出没し、尼崎には爪が異様に長い鬼のような形相の老婆に化けて、夕方になると労災病院の裏の墓地に現れるとの事だった。病院と墓地の間の道は、避けては通れぬ通学ルートで、いつも恐ろしくて墓地の前を駆け抜けて帰った。ある日の登校時、その墓地の角のゴミ捨て場に小学生たちが群がっていた。そこには大量のビニ本と、しぼんだ小さな風船のようなものが数え切れない程捨ててあった。当時はその風船がなんなのか分からなかったが、汚らしく禍々しいものに見え、なんだか恐ろしく感じた。そしてそれは鬼太郎が捨てたという事で落ち着いた。

まつお・さとる/俳優。1975年生まれ。「ひよっこ」では奥茨城のバス車掌・益子次郎役を演じる(写真) ©NHK

中野の不動産屋で「事故物件です」

 北青山のアパートを出るべく、友人に勧められた中野の不動産屋へ。事情を理解してくれた不動産屋の女性は、すぐに入居できる物件をいくつも提示してくれたが、どれも微妙に条件からずれている、と言うより家賃が高かった。ちなみに条件は中野駅周辺で風呂トイレ付き、家賃が4万円前後だったが、少々都合がよすぎたようだ。やはりすぐに見つかるものではないのかと諦めかけたとき、壁に貼ってある物件情報に目が止まった。築十年27平米1DK風呂トイレ別エアコン完備南向き角部屋、そして賃料7万5千円に斜線がひかれ5万円と訂正されていた。あまりにも条件が良すぎるので問うてみたところ、訳ありの物件だと言う。訳あり、というのは、

「事故物件です」

 聞くと、そこに住んでいた若い女性が、数年前にその部屋で病死したのだそうだ。詳しいことはよく分からないが、突然死だったらしい。ただし、今は不動産屋の知人の同業者の方が1年近くそこに住んでおり、おかしな事はなにも起こっていないのだそうだ。

 とは言え若い女性が、アパートの一室でひっそりと死を遂げた、そんな恐ろしい部屋に住む事ができるような人間ではなかったはずなのに、しかも内見もせずに即決したのは、杉田へのあてつけがあったからなのか、それとも家賃が2万5千円も安い事に目がくらんだ関西人の性からか。 

 今住んでる人が転居する一週間後にすぐ入居できるようにお願いし、室内クリーニングをなしにしてもらう代わりに敷金をタダにしてもらった。

 引越すまでの一週間のうちに、杉田には悟られぬようにこっそりと荷造りをして、内見はできなかったが、外観だけでも、と新居の下見に行った。西武新宿線の下井草駅徒歩3分とあったが、実際には10分弱の場所にあった。アパートとアパートの間の奥まったところにそのアパートはあった。名前はスカイハイツ、二階建てである。建物に囲まれてはいるものの、ベランダは南向きで、日照も悪くはなさそうだ。あわよくば住んでる方に中を見せてもらおうかと思ったが、残念ながら留守のようだった。

 翌週、不動産屋から鍵をもらい、その足で部屋を見に行った。元住人が不動産屋という事もあってか、部屋はとてもきれいに掃除されていた。クリーニングが入っていないせいで、その特有の真新しさを感じさせる匂いはなかったが、少し人のぬくもりが残っているかのようでホッとした。陽が気持ちよく差し込み、窓を開ければ風が優しく通り抜けて行った。文句のつけようがない素晴らしい物件だったが、ひとつだけ気になることがあった。この部屋には、鏡がひとつもなかった。なかったと言うより、本来あったであろう場所から取り外された形跡があるのだ。シンク脇の壁、トイレ、そして風呂場、鏡があったと思われる場所にはうっすらと長方形の跡が残っているだけだった。