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【阪神】知将・野村克也から闘将・星野仙一へ、阪神を暗黒時代から救った“順番の妙”

交流戦 指名対決 テーマ「野村克也と星野仙一」 文春野球コラム ペナントレース2017

2017/06/16
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野村克也が阪神監督に就任した1998年オフ

 今夜から幕を開けるセ・パ交流戦「阪神vs楽天」。虎党の私にとって、楽天とは野村克也監督と星野仙一監督のイメージが強い。彼ら二人の流れによって(ブラウン監督を挟んだけど)低迷期を脱したという点において、我が阪神と似ているからだ。

 振り返ること1998年のオフ。それまで長期低迷していた暗黒時代の阪神に、まさかまさかの野村監督が就任したときは本当に驚いた。前年までヤクルト監督として、在任9年間でリーグ優勝4回(日本一3回)という黄金時代を築いた名将が、我らがダメ虎の再建に乗り出すことになったわけだから、当時の私は素直に狂喜乱舞した。これはもう、期待しないほうがおかしい。絶対に阪神は強くなる。あのころはそう信じていた。

1998年オフに阪神監督に就任した野村克也氏 ©共同通信社

純金製ノムさん像からサッチー逮捕まで! 阪神・野村監督の足跡

 当然、マスコミやファンの盛り上がりもすさまじかった。球団も就任会見で「野村監督様」と紹介するなど、まさにVIP待遇、まさに野村フィーバーだった。

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 そんな野村フィーバーはシーズンに突入して以降、ますます過熱した。序盤に藪恵壹や新庄剛志といった生え抜き選手が次々に活躍し、一瞬ダメ虎が生まれ変わったかのような快進撃(6月9日に一時だけ首位に立つ)を見せたことで、球団もついつい調子に乗って純金製野村監督像(通称・純金ノムさん)というトンデモ便乗商品を発売。

 値段は1体につき、なんと100万円。まさに関西ノリ。キンキラキンの縁起物ほどわかりやすいものはない。なお、この純金ノムさんは阪神ファンで知られる落語家の月亭八方が最初に購入し、総売上げ数は27体だったとか。

 しかし、そんな野村フィーバーも長く続かなかった。いったい、なにがどうなって弱くなったのかと首をかしげたくなるほど、99年6月まで好調だった阪神が7月以降は急速に弱体化。このへんを詳しく書けば字数オーバーするので割愛するが、とにかく野村監督をもってしても99年は最下位に沈み、続く00年も01年も連続最下位に終わったのだ。

 とはいえ、当時の私はそれでも野村監督の続投を希望していた。確かに3年で結果は出せなかったが、野村体制によって阪神があきらかに変わりつつあったからだ。

 01年には野村監督が「将来のエース」と目をかけていた井川慶が先発ローテの一角として9勝13敗、防御率2.67の好成績を残し、オールスターにも初出場。同じく期待されていた速球派・福原忍も暗黒時代の投手としては、おそらく初めてとなる150キロ超のストレートを披露し、長かった球速詐称の歴史に終止符を打ってくれた。さらに野村監督が「変化球の対応は天才的」と評していた濱中治も01年に13本塁打を放つなど成長の兆しを見せ、同じく野村監督が「F1セブン」と名づけて話題になった俊足7人衆の中から赤星憲広や藤本敦士といった、のちの阪神の中心選手が芽を出しつつあった。今岡とは馬が合わなかったみたいだけど。

 だから、同じ最下位でも暗黒全盛期とは一味ちがった。特に野村阪神3年目となる01年は、なんとなく来季に期待を抱かせるような内容でもあったのだ。ところが、ここで阪神暗黒時代最大の事件が勃発する。01年12月5日、野村監督の夫人であり、サッチーこと野村沙知代女史が脱税容疑で逮捕されたのである。これによって阪神球団は野村監督の解任を決断。すさまじい大オチであった。

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