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連載この味

平松 洋子
2017/06/22

ラマダンは断食と過食のシーソーゲーム――平松洋子の「この味」

©下田昌克

 イスラム教徒の断食月、ラマダンの時期に居合わせたことがある。旅先はモロッコ。

 パリからモロッコに向かう飛行機のなかで、ラマダンの時間はもう始まっていた。機内食が配られ始めると、通路をはさんで隣に座っている髭面の男性がやおらバッグから黒革の書物を取り出して熱心に読み始めるので、それとなく見るとコーランである。機内食を断って読み続けるのだが、ちらりと目が合ったときの誇らしげな表情が語っていた。

(私は食べたりしない)

 自負心を感じ、そうか、と気づいた。彼はイスラム教徒でラマダン中なのだ。コーラン第二章百八十五節、一ヶ月の断食期間中は日の出から日没まで一切の飲食を絶ち、一滴の水も飲んではならない。戒律にのっとって、機内食を拒んだのである。

 断食期間中の善行は、より多くの報いが得られるとされる。ラマダンはイスラム暦の九番目の月にあたるのだが、太陽暦との差によって約十一日ずつ早まるため、今年は五月二十七日から六月二十五日に定められた。そのさなか、各地で勃発しているテロ事件は「ラマダンの多大な褒賞と殉教を得よ」と呼びかける「イスラム国」が扇動、イスラム教の教えを悪用するものだ。これまでラマダンの時期を迎えるたび、モロッコで出会った断食中の人々のことを思ってきたけれど、連発するテロの報に接するたび、いたたまれない。

 さて、ラマダンはさぞかし苦しいものだろうと思いながら、初日おそるおそるモロッコに降り立った。でも、必ずしもそうではなかった。

 いや、たしかに信仰心を問われる自己鍛錬の日々である。夏場にラマダン月が当たれば、病人や乳幼児以外は水も飲めない。私は外国人の旅行者に過ぎないが、食べられない人の前で食べることはさすがに憚られ、日中は飲食を慎んだ。それでも、暑くて喉が干上がり、市場のジューススタンド(ラマダン中であっても、人々は食べ物の仕事に従事する)でおずおずと搾りたてのオレンジジュースを買ったときは、砂漠で一杯の水を求めるような枯渇感があった。

 しかし、日の出前と日没後は、しっかり食べる。まだ外が暗いうち、スフールと呼ばれる食卓に並ぶのは、甘いパンやクミンをかけたゆで卵、もったりとして腹持ちのいいスープ「ハリラ」。日中ずっと食べられないから、みんないきおい早起きになる。日没後、家族や親戚が集まって食べる食事イフタールは、一転、宴会さながらのにぎやかな食卓だ。私が訪れた家庭では、まず歯が浮くほど甘いデーツ(ナツメヤシの実)の砂糖漬けを三個食べ、次にトマト風味に変えた「ハリラ」で空腹をなだめながら食事を始めた。どうしても夜更かしして食べ過ぎちゃうんだ、とモロッコ人のおじさんが言っていた。夜中に大量に食べるから肥満が増加している、節制を、と国民に呼びかける新聞キャンペーンが張られていたことにも驚いた。ラマダンが、断食と過食のシーソーゲームだったとは!

 和気あいあいとした空気に昂ぶりが混じる夜中、戒律を守りきった達成感、今日をぶじに過ごし終えた安堵が漂っていた。恵まれない人々にはイフタールの食事が配られ、進んで喜捨を施すことによって人々は結束を高める。

「ラマダン明けのお祭りはいっぱいごちそうが並んで、ものすごくにぎやかで楽しいんだよ!」

 イスラムの国々では、食欲という欲求の根幹を宗教が掌握している。

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