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青木 高夫
2015/03/12

ビジネスの眼 歴史の眼
超強力クライアントGHQとの戦い
交渉のプロが見た「日本国憲法」の作り方

ルールは「守る」だけでなく「作る」ものだ。現役ビジネスマンが憲法制定の駆け引きに迫る

 日本国憲法に関する課題について、一人のビジネスパーソンとしての思いを書いて欲しいというご依頼である。上司にレポートを提出するような気持ちで筆を進めることにするが、本稿はあくまで私個人の思いであることをまずはご理解いただきたい。

 さて、憲法をルールだと言い切ってしまうことには多少の躊躇いがあるのだが、まずはそのルールについて書き始めさせていただくことにしよう。

 ほとんどの日本人は「ルールという言葉にどんなイメージを抱くか」と聞かれると、「守る」と答えるらしい。もちろん、おかしな連想でもないのだが、欧米人からは時折聞ける、「作る」という発想が出て来ないのは、日本人の特徴なのかも知れない。日本人にとってのルールは「守る」ものであり、「作る」ものではないというのが一般的なイメージなのだろう。

 さらに、「そのルールは誰が作るのか」という質問を重ねると、返って来る答えは、政治家や官僚。時に、会社や上司などという“快答”もあるのだが、これも興味を引く。つまり、ルールメイキングというのは、第三者、特に“お上”の仕事であって、「作る」のは自分に関係がないということなのだろう。

 しかし、これはまずい。と言うか、時代には合っていない。確かに、ルールを守ることは大切だろう。スポーツが好例だが、ルールを尊重する姿勢はフェアプレイのお手本となって他者からの信用に繋がる。これは日本選手の美徳だ。だが、行き過ぎも禁物で、ルールを守ることだけに集中するのはどうだろう。ルールの意味にまで思いを馳せず、一途にルールを妄信するのは、主体性を欠いたスタンスではないだろうか。

 現に、ルールが変わると、その意図は考えずに「日本叩きだ」と思考回路を短絡させてしまう。「ずるい」と憤ったりはするが、その後も「ルールは守るもの」という姿勢はそのままで、第三者の決めたルールにぶち当たる玉砕作戦の継続。スポーツだけでなく、ビジネスでも似たところがあり、ISOでも国際会計基準でもルールメイキングに受身な感じが否めない。新しい製品やサービスと、規制、標準などの関連ルールは同時に作るくらいの戦略があっても良いのではないだろうか。

 さらに、ルールを守るのであれば、ルールの意図は熟知しておくべきであろう。ルール作成時点から環境が変化しているなら、その意図が今もって妥当かを問う姿勢も必須である。現実に合わなくなっていれば、変えるか、作り直すものがルール。ルールを大切にするということは、守るだけではなく、改訂したり、新たに作ることも含んでのことである。

ルールは神聖にあらず

 もう一つ。先ほど、「ルールは誰が作るのか」という質問について述べたが、作り手が政治家であれ、上司であれ、ルールというのは通常人間が作るものである。天の啓示による神聖絶対のルールというのもあるが、ここでは別に考えたい。そして、人間が作る限り完璧なものではあり得ない。

 ドイツの諺に「ソーセージとルールは作る過程を見ない方が良い」というのがあるが、ルールメイキングとは、利害の衝突であり、臓物を扱うソーセージ作りと同じく、脅しや駆け引き、妥協が主体のドロドロとした所業である。そう理解すれば、ルールを絶対視する必要はなくなるはずである。

 ビジネスでも、懸命に守って来たルールが、作られる現場を見てしまうと「何だ、こんなことで決まっているのか」と唖然とさせられることがある。議論を重ねはするが、最後は「しょうがねぇ、ここで妥協するか」みたいなことだって珍しくはない。ルールを“守りすぎる”傾向のある日本人には、この辺りに一考の必要があるように感じるのは私のみであろうか。

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