文春オンライン

今、起きていること対「イスラム国」戦争が戦後を終わらせる

日本は「テロとの戦争」に完全に巻き込まれた。それでも対米従属の追求は続いている

2015/03/05

「自己責任論」が出なかったのはなぜか

 ゆえに、湯川遙菜氏が殺害され、後藤健二氏も殺害されるという展開のなかで、政府中枢から漂ってくるのは、表面上の沈痛さの下に垣間見える何やら嬉しげな気配である。それは当然のことであろう。彼らは、渇望してきたもの、すなわち参戦の大義名分を手に入れつつあるのだから。ゆえに、後藤氏殺害の報を受けての安倍首相の発言(二月一日)の勇ましさは際立っていた。いわく、「テロリストたちを絶対に許さない。その罪を償わせるために、国際社会と連携してまいります」。「日経新聞」報道によれば、「その罪を償わせる」の部分は、首相が直々に書き加えたという。

 注目すべきことに、今後こうしたケースが発生した際に自衛隊を救出のために派遣する方向へと踏み出すのかという問題をめぐって、報道されている政府の動きや首相の発言は、奇妙に曖昧な印象を与える。すなわち、イスラム国への有志連合国による空爆の後方支援はしないという方針が示されつつ、また今回のような事象は集団的自衛権の行使対象にはならないという見解を提示しつつ、それでも自衛隊の活用が一貫して主張されているのである。「安倍首相は、『国民の命、安全を守るのは政府の責任。その最高責任者は私』と発言。一月下旬に事件が発生して以降、自衛隊による在外邦人の救出に向けた法整備に意欲を示してきたが、この日も『邦人が危険な状況に陥ったときに、受け入れ国の了承の(ある)なかで、救出も可能にする議論をこれから行いたい』と語った」(二月二日、ロイター)。要するに、自衛隊の活動範囲を拡大するという方針がはっきりと示されながら、それが具体的にどのような活動を意味するのか、一向に見えてこない。

 私はここに、現政権の政治手法の巧妙さを感じる。つまり、このようなどっちつかず(自衛隊は出るのか出ないのかわからない、という曖昧さ)の姿勢を見せることによって、国内世論の形成を待つことができる。逆にいま有志連合への参加を性急に主張することは、犠牲者の政治利用であるとの批判を招き、逆効果になる。そしてその間にも、イスラム国はヨルダン空軍のカサスベ中尉を焼殺するなど、武装勢力の残忍さを印象づける事実はますます増えている。また、二〇〇四年のイラク戦争当時の人質事件においては政府主導で「自己責任論」が吹き荒れたのとは対照的に、現政府からはこうした論調が出てきていないことも注目に値する。反対に、世耕弘成官房副長官は、昨年三度にわたって外務省が後藤氏にシリア渡航を思いとどまるよう勧告していたことを明かしたうえで、「われわれは自己責任論の立場には立たない。国民の命を守るのは政府の責任で、後藤さんを守れなかったのは政府の責任だ」と述べた。ここには、小泉政権当時と現政権との根本的なスタンスの差異が如実に表れている。すなわち、小泉政権は戦地に準じる場所に自衛隊を送り込むという戦後史において一大画期をなす政策を実行した。しかし、その際、憲法との整合性は良くも悪くも有耶無耶な形で処理されて突き詰められることはなく、戦後幾度も繰り返されてきたその場凌ぎ的な立法措置がまたしてもなされただけであり、行動の画期性が喧伝されることはなかった。

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 これに対して、安倍政権は「積極的平和主義」の標語によって、安全保障政策の根本転換を告知している。「積極的平和主義」の内実は、従前の安全保障政策を「消極的」なものと位置づけ、今後の安全保障政策を「積極的」なものとするという宣言である。この際、「平和主義」という言葉に意味はない。どの国家も、表向きは「平和主義」を掲げるのであって、軍国主義を正面から正当化する国家は存在しない。したがって、ここでの「平和主義」とは、国家の安全保障政策の全般的方向性を指し、それには「積極的」と「消極的」の二種類があることが述べられている。確かに、一般論として、自国の安全の確保を図る際に、消極的方法と積極的方法がある。前者は、戦争・紛争に極力関わらないことによって安全確保を図るのに対して、後者は、敵を「積極的に」名指し、これを攻撃・無力化することによって自国の安全を図るという方法であると定義できるだろう。前者のスタンスをとってきた典型国が戦後日本であり、後者はアメリカである。そして、集団的自衛権の行使容認によって安全保障政策をより一層アメリカのそれと一体化する以上、「消極」から「積極」への根本的な転換が要請されているわけである。

 消極的安全保障政策から積極的安全保障政策への転換と、「自己責任」から「政府責任」への転換は相即しており、かつ論理的に一貫している。小泉政権は、実質において画期的な政策を実行しつつ、その転換の影響を最小限にとどめようとした。つまり、依然として日本の安全保障政策は戦後憲法に規定された消極的安全保障政策にとどまっている、言い換えれば、紛争への関わりはミニマムであるのだとすれば、動機が何であれ紛争地域に関わろうとする個人の行動の帰結は、日本国家のあずかり知らない「自己責任」の領域に属する、という論理がここにはある。これに対し、後藤氏が日本政府の制止を振り切ってシリアへ渡った――かつての政府の姿勢ならば「自己責任」を口にしてもよい事情がある――にもかかわらず、現政府関係者は後藤氏の死に対して責任があると自ら述べている。つまり、「積極的平和主義」によって紛争に積極的に関与するからこそ、紛争によって発生した日本人の死は、その事情がどうあれ、日本国家が責任を負うものだという姿勢が打ち出されている。

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