昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

中島 京子
2017/07/05

中島京子 「混迷の時代に読み直したい10冊」

オール讀物セレクション 作家の本棚

 なんだかいやな時代になってきたなと数年前から感じていて、今年に入ってそれも極まった気がしている。

なかじまきょうこ 東京都生まれ。2010年『小さいおうち』で直木賞受賞。著書に『妻が椎茸だったころ』『かたづの!』『長いお別れ』等。©鈴木七絵/文藝春秋

 などというエッセイの始まりは、不景気だし、無責任でもあるが、困ったなあというのが実感だ。なんでもいいからテーマを立てて、文庫で10冊、と注文がきて、ぼんやり考えていたらこんなセレクションになってしまった。

『一九八四年』は、まあ、誰でも思いつくだろう。トランプ大統領が誕生して、「ポスト・トゥルース」がオックスフォード辞典のウェブページに記載されるまでになった。ネット上には山ほどの嘘ニュースが氾濫している。ひるがえって日本でも、なんだか妙な言葉の解釈が「閣議決定」されたりして、あららこれはオーウェルが書いた「ニュースピーク」だよと、どうしたって思わざるを得ない。「戦争は平和なり」とか「2+2=5」とか、毎日、この本の引用で現実を理解するような日々である。

 世界中が混乱してきて、20世紀に懲りたはずの戦争はなくならない。国連も思ったほど力を発揮できないし、結局人間はこの地球をダメにしてしまうのではないか。先日、友人と会っていて『幼年期の終わり』の話になった。彼らが来てくれないと、私たちは戦争と破壊を止められないのかもね。そして彼らが来てしまったら最後、私たちは――。

 しかしまあ、なんだって、こんなに息苦しい世の中になってきてしまったのか。もちろん、世界情勢もあるけれども、やはり身近な感覚としては、自然災害の多さがある。日本は島国で火山も多く、地震や、それが引き起こす津波と無縁ではいられない。台風や豪雨にも見舞われる。『崩れ』は72歳の著者が、山崩れの現場を見に行くルポルタージュだが、憑かれたように足を運ぶ姿を読んでいると、大崩れを起こして姿を変える自然への畏敬の念にとらわれる。

 震災文学として再読してしまうのは、『神の子どもたちはみな踊る』。さきごろ出た村上春樹の新作のモチーフの多くが、この短編集に見られる。でも、これらの短編の読後感は特別で、読んでいると余震を恐れて不安定だった日々を思い出す。そのとき灯ったはずの希望も。

『充たされざる者』は、変な話で、いまだになんだかよくわからない。ただ、誰もが充たされていなくて、ピアニストのライダーさえ町に来て演奏してくれれば事態は変わると思い詰めている。しかし、頼りのライダーの記憶はごちゃごちゃ。その奇妙さと混乱が、妙に胸に留まり、時代の混迷度とシンクロする。

 なぜいきなり『阿部一族』かというと、日本人のメンタリティが、ときに人をものすごく追い詰めることを書いた傑作だからだ。家臣の一人をなんとなく嫌いだからという理由で、主君が殉死の許可を出さない。という妙な話から始まるのだが、実話を基にしていてリアリティがある。いまも世の中を覆う、いじめの図式がここにあり、心をざわつかせる。

 やはり日本人の特徴と言えそうな、同調圧力のすさまじさを描いたのが『海と毒薬』だ。とはいえ、日本人に特有のメンタリティなんてあるのだろうか。同調圧力と組織での地位のために、捕虜の生体解剖を執刀する医師の問題は、ハンナ・アレントが指摘した「悪の凡庸さ」の問題のようにも思う。遠藤周作は神を持たない日本人の性向として描いたけれど。いずれにしても、同調圧力と長いものには大人しく巻かれようという空気の充満したいま、たいへんなことに手を染める前に、読んでおいたほうがいい。

 いまもう、あまり読まれないという意味では、遠藤作品とどっこいどっこいか、さらに読まれないかもしれないが、高橋和巳の『邪宗門』も、いまだからこそ読み直したいなあと思う長編だ。戦前、新興宗教の教団が、治安維持法の下で凄まじい弾圧に遭い、戦後復活するけれどもまた壊滅させられるという物語。深刻な題材のわりに、一気読み必至のストーリー展開で読まされてしまう。そして、それこそ、日本と日本人について、考えずにはいられなくなる。

 まったく所変わって、ブエノスアイレスの刑務所が舞台の『蜘蛛女のキス』は、同性愛者のモリーナが濃密に語る映画のシーンが印象的で忘れがたい。モリーナの話を聞くのは政治犯のバレンティンだ。混迷の時代にあって、もっとも聞き取られず、攻撃に晒されやすいマイノリティの声を、小説の中に聞きたいときに、モリーナを思い出す。いま、私たちは、モリーナとバレンティンの会話を聞かなければならないように思う。

 さてさて、いかなる時代にあっても、志ん生の落語を聞くのは精神衛生上よい。といっても、私の聞いているのはCDで、名人の高座を拝聴したことはないのだが。『なめくじ艦隊』は、志ん生の語り口をそのまま生かした半生記だ。貧乏長屋になめくじが艦隊をつくって這っていようとへっちゃら。酒が飲めると聞けば爆弾が降ってこようが飲んじゃう。ものごとを真剣に考えるのは大事だが、深刻になりすぎるのは不衛生だ。これを読んでいると下戸の私でもお酒が飲みたくなるし、世の中がどうなろうと、どうにかなるもんだと、気が大きくなってくる。

 

中島京子さんが選んだ10冊

本企画は実書店とコラボ中です。全国約四十店舗にて中島京子さん「作家の本棚」が展開されています。

オール讀物 2017年 07 月号

文藝春秋
2017年6月22日 発売

購入する

〈作家の本棚〉は以下の書店などで展開中です

ジュンク堂書店上本町店
啓文堂書店 多摩センター店
啓文社ポートプラザ店
ブックショップ書楽
ブックファースト梅田2F店
NET21 恭文堂学芸大学店
ジュンク堂書店鹿児島店
ジュンク堂書店梅田ヒルトンプラザ店
くまざわ書店下関店
啓文社岡山本店
梅田 蔦屋書店
MARZEN京都本店
MARZEN 広島店
ブックスミスミ オプシア店
今井書店グループセンター店
喜久屋書店 倉敷店
長崎屋帯広店4F
喜久屋書店 帯広店
三省堂書店 成城店
ジュンク堂書店 新潟店
西日本書店 本店
MERZEN&ジュンク 梅田店
ジュンク堂書店 盛岡店
八重洲ブックセンター 八重洲本店
西日本書店 OAP店
知遊堂三条店
宮脇書店 松本店
紀伊國屋書店 流山おおたかの森店
ジュンク堂書店 広島駅前店
TUTAYA WAYガーデンパーク和歌山店
浜書房 バーズ店
くまざわ書店 松戸店
マルサン書店 仲見世店
丸善ジュンク堂書店 八尾アリオ店
往来堂書店

はてなブックマークに追加