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連載高野秀行のヘンな食べもの

高野 秀行
2017/07/04

覚醒植物“カート”とは何か(天国篇)――高野秀行のヘンな食べもの

イラスト 小幡彩貴

 アラビア半島のイエメンから東アフリカにかけての地域で、「カート」と呼ばれる植物が地元住民に人気を博している。ツバキやサザンカの木に似ており、その葉っぱを食べると、酒に酔ったように気持ちよくなる。

 私が通っているソマリランドやソマリアに住むソマリ人もとにかくカートが大好き。ソマリ人エリアは乾燥しすぎてカートを栽培できないため、隣のエチオピアやケニアから車で輸送している。

 午後一時か二時頃、ウーウーとサイレンを鳴らして走ってくる車があれば、それはパトカーでも救急車でもなく、カート運搬車だ。カートは刺身と同様、鮮度が命で、朝摘みのカートを積んだトラックがどんな砂漠でも内戦地帯でもお構いなく猛スピードで突っ切って各地の市場に到着する。するとカート食いの男たちや小売り商人がそこに群がり、阿鼻叫喚の様相を呈する。奪い合うようにして、コンサートで渡す花束くらいの枝付きカートの葉を買い求め、自宅や友だちの家に持って帰る。ここから「カート宴会」が始まる。

カート屋台で新着の束を買う

 日本人の経験者はよく「カートは効き目が弱い」とか「何がいいのかわからない」などと本やブログで書いているが、大間違いだ。

 カートは大量に食べないといけない。葉っぱ(一応、若葉だが)を枝からむしり、ひたすら口に押し込み、ぐちゃぐちゃ噛んで飲み込む。いかつい髭面の男たちがバリバリと葉っぱを食べるのを見て、私と同行してソマリランドへ行った後輩は「これが本当の草食男子か」と呆れていた。

 ただの葉っぱでしかも土埃だらけだから、全然うまくない。でもそこを我慢して食わねばいけない。

 そのうち、不思議なことが起きる。葉っぱが急に美味くなるのだ。微妙な渋みをともなった甘みを舌に感じる。その甘みは脊髄を伝って脳や手足にも届く。「おお」と感動し、「ねえ、このカート、美味いよね!?」と隣りにいる見知らぬおじさんの肩を叩いて突然話しかければ、それはもう効きはじめた証拠だ。その頃には相手も効いているから「おまえもカート、好きか? いい奴だ!」などと肩を叩き合ったりしてすぐに仲良くなってしまう。

 この多幸感あふれる状態をソマリ語で「メルカン」と言い、「あんた、メルカンしてるか?」と話しかけるのがカート宴会の定番挨拶である。

 カートは酒と同様、人の心の垣根を取っ払う。誰もが友だちに思え、本音で話をしてしまう。

 私はカートがなかったら、ソマリ世界で取材ができなかっただろう。ソマリ人はたいてい短気で、普通にインタビューなどしても十五分としないうちに飽きてしまい、欠伸したり、携帯で誰かと話し始める。ところがカート宴会に参加したら、最低でも三時間ぐらいは席を同じくする。日本の飲み会でも一時間程度で「今日はお先に」などと席を立ったら失礼な感じがするだろう。それと同じだ。長時間一緒にいるし、メルカン状態で何でも率直に話ができる。私はこのような宴会で、氏族の掟からイスラム過激派の内幕、さらには夫婦生活や浮気が妻にバレないための方策まで聞きまくった。

 しかしカートが最高であるのは酒とちがって酩酊しないことだ。むしろ「覚醒」する。長距離ドライバーや夜警が特に愛用するだけあり、集中力や記憶力が高まり、見聞きしたことを忘れたりしない。ホテルの部屋に戻ってからも二、三時間、先ほど聞いた話を一心不乱にノートにまとめてしまう。

 メルカンは気持ちいいし、取材はガンガン進むしで、比喩ではなく「天にも昇る気持ち」になる。実はこのあとに強烈な副作用が来るとわかっているのだが……(以下、次号)。