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山内 宏泰
2017/07/01

川内倫子の写真の「生命感」はどこからくるか

 写真をベースに作品をつくるアーティスト、川内倫子の個展が始まっている。東京銀座にある森岡書店銀座店での「Halo」展。ここは期間を区切って一冊の本のみを売り、店内では関連の展示をするという独自の活動を展開するスペース。小さい展示で、掲げられている作品点数も限られているので、かえって1点ずつとじっくり向き合うことができていい。

 

 近い距離から作品を眺めていると、このアーティストが国内外で高い人気を誇る理由の一端が見えてきた。画面に生命感が満ちている。そこが川内倫子の写真が人の目を惹きつける大きな要因だ。

「写真映え」するもの

 スマホのカメラ機能も勘定に入れたら、今やあらゆる人が毎日のように写真を撮り続けている。ランチのプレートがおいしそうだったら撮る。おもしろい看板を見かけたとき、久しぶりに会った友人、かわいがっている犬か猫の「本日の姿」も当然撮る。メモ代わりにと資料や証拠も撮るし、雲の形がユニークだったり夕陽の色が見事なら、ちょっとした表現欲を満たしたくなって、きれいに撮ってみようと試みたり。写真は生活に溶け込んで、なくてはならない存在となっている。

 

 せっかくこんなにたくさんシャッターを押すのだから、少しでも上手に撮れたらいい。そう思う向きに、コツをひとつお伝えするならこれだ。

「写真映え」する被写体を選ぶこと。

 これだけ気をつければ、格段に写真の輝きが増すはず。写真映えする被写体とはどんなものかといえば、こちら。

 小さいもの。細かいもの。たくさんのもの。弱々しいもの。光るもの。反射するもの。透けているもの。揺れるもの。動き続けるもの。流れていくもの、などなど。

 

 具体的には、赤ん坊。人の手指。女性の長い髪。カーテン。ろうそくの炎。しゃぼん玉。見渡すかぎりの花畑。枝にびっしりとついた葉群れ。風に揺れる草。窓ガラスについた雨の滴。降り落ちる雪。雨に濡れたアスファルト。寄せては返す波。陽に照らされる川面。アリや魚やハトの群れ。夜の街で渋滞する車列のテールランプ。夜空に光る月や星。何かの影、などとなる。

 これらにカメラを向けて撮れば、出来上がった写真はきっとキラキラ眩しいものになる。

あらゆる表現は「生命」を宿したい

 なぜ小さいものやたくさんのもの……、が写真映えすることになるのか。そうした要素が写り込むと、画面に生命感が宿るからだ。

 うごめき、揺れ動き、絶えず変化し、自ら熱や光やエネルギーを発する。個としては小さく弱々しいけれど、それらが集まると全体として強さを増し、つながりを維持しながら自律的な営みを延々と繰り返す。そんな動的な存在が生命の正体。写真映えする被写体とは、そうした生命の根源を強く感じさせるものばかりであって、それらが画面に生命の息を吹き込んでくれるのである。

 

 あらゆる表現は、その内部に生命を宿らせることを求めている。「リアリティがある」とか「真に迫っている」、「心に強く響いてくる」といった評価は、その作品に生命を感じられたときに発せられるものだろう。

なんでもないものを撮って、生と死へつなげていく

 ということを踏まえて、川内倫子の展示を見てみれば、どの作品画面にも写真映えするものが横溢している。降りしきる雪の、気温がしっかり低いからか結晶まで見えている様子。暗闇の砂浜に浮かび上がって見える波しぶき。無数の鳥が集団で宙空を舞い、まるでひとつの巨大な生きものみたいに動くさま。夜空を火花が覆い、人の姿が火の粉に呑み込まれそうになっている。光輪をまとってぼんやり輪郭を見せる太陽へと、翼をはためかせる一羽の鳥。

 

 だからだろう、川内の写真はささやかで弱々しくて、取るに足らないものばかりが写っているのに、生命感が画面に強く脈打っている。それで観る側は、火花や鳥や雪の結晶なんかから、生と死の循環が延々と続いてきたことへの畏敬の念だったり、儚いからこそ輝きを持つ生の尊さを感じて、狐につままれたような顔になってしまう。

 なんでもないものを撮った写真が並ぶ小さなスペースが、とてつもなく大きなものにつながっているという実感を、ぜひその場に身を置いて体感してみたい。