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楠木 建
2017/07/04

「出過ぎた杭になれ」になるな

楠木建の「好き」と「嫌い」――好き:余人をもって代えがたい 嫌い:出すぎた杭は打たれない

それでも杭は杭

 あくまでも個人的な好き嫌いの話として聞いていただきたい。

「それはね、キミ、出る杭は打たれる、だよ。気にすることはない。その調子でガンガンやればいい。どうせなら出すぎた杭を目指せ。出すぎた杭は打たれない、そういうことだ……」 

 こういうことをしたり顔で言うオジサンがいる。これが実にイヤである。

「出る杭は打たれる」。ま、人の世の中、そういうこともある。これはこれでうすらさびしい言葉だが、僕がそれ以上に嫌悪しているのが「出すぎた杭は打たれない」というフレーズだ。これを使う人はうまいことを言っているつもりなのだが、何の解決にもなっていない。それどころか、ますますみみっちい話に聞こえる。

 僕がイヤなのは、このフレーズの比喩から浮かび上がる光景である。杭が横一線にずらずらと並んでいる。色も形もすべて同じ。動きもない。マットな暗い茶色の杭が黙って並んでいる。

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 多少引っ込んでようが出ていようが出すぎていようが、傍から見れば一介の杭であることには変わりない。出すぎたら打たれないかもしれないが、しょせんワン・オブ・ザ・杭ズに過ぎない。松山千春は「それでも恋は恋」と言ったが、それでも杭は杭なのである。

プロは比較しない、威張らない

 出るとか出すぎるというのは、つまるところ周囲と比較しての差分を問題にしている。ある物差しを当てて、その上で人の能力なり成果を認識する。平均値や周囲の誰かとの差をもって優劣を競う。こういうアプローチを取っている限り、ロクな仕事はできないと思う。

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 僕がスキなのは、出てきて動き出したその瞬間に「ああ、この人には敵わないな……」と思わせる人である。こういう人には出来合いの物差しが当てはまらない。相対比較を超えた圧倒的な力量。有無を言わさぬ凄みがある。能力の体幹が強くて太い。ちょっとやそっとではぐらつかない。こういう人と仕事をする幸運に恵まれると、実にイイ気分である。頼りになるしこちらとしても大いに勉強になる。

「ほら、俺は『出すぎた杭』だからさ……」とか言って悦に入っているバカもたまにいる。こういう連中に本当に仕事ができる人がいたためしがない。人と比べてあれができる、これができると言っているうちはまだまだである。余人をもって代えがたい。ここまでいってはじめて本当のプロといえる。

 しかも気持ちがいいことに、こういう本物のプロに限って他人に威張らない。印象としては「謙虚な人」なのだが、実際の本人の心情は「謙虚」というわけではないのが面白い。

 このことに気づいたのは、同僚で先輩の佐山展生さん(一橋大学教授、インテグラル代表取締役)と話をしていたときのこと。僕が佐山さんに「やたらと威張る人がいるでしょ。アレ、嫌ですね。偉い人ほど謙虚ですね」と言うと、「あーそれはね、別に謙虚というわけではないんですね。本当のプロは、『自分はまだまだダメだ』と心底思っているんですよ。だからまるで威張らない。本人の中にそもそも威張る理由がないんですね」というお答え。なるほど、と得心した次第である。

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