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連載高野秀行のヘンな食べもの

高野 秀行
2017/07/11

ダメ人間たちの「迎えカート」――高野秀行のヘンな食べもの

イラスト 小幡彩貴

 食べれば多幸感と鮮やかな覚醒をもたらす中東・アフリカの植物「カート」。しかしこの嗜好品には恐るべき副作用がある。

 地元の人たちと一緒にカートを食べると、三時間ぐらいは談論風発し、ひじょうに楽しいが、その後だんだんとテンションは下がっていく。

 この辺からカートの効き方は人によって大きく分かれてくる。

 まず、食欲。私の親しい友人はカート宴会のあと腹が減る性質で、「よくないとわかっていてもパスタを山ほど食べてしまう。これが太る原因なんだよな」と酒を飲んだあとにラーメンを食わずにいられない人みたいな愚痴をこぼす。

 私はあまり空腹を感じない。なにしろ、コーラやお茶、水などを飲みながら、サラダ何杯分もの葉っぱを食べているから腹が膨れているのだ。食欲は錯覚だろう。

 もう一つは性欲。人によっては「すごくセックスがしたくなる」という。ソマリ人世界ではカートを食べるのは男にほぼ限られる。女性でカートを食べるなら、ちょっとその人は“堅気”でない感じがする。娼婦とかバツイチの遊び人とか芸能人(歌手やコメディアンなど)とか。なので、女性の感想はめったに聞けないが、どうやらやっぱり人によっては性欲が湧いてくるらしい。

 でも、過半数の人は「性欲? わかないなあ」という。私もそうだ。あたかも自分のエネルギーが全て上半身(特に頭)に集まって、下半身は空っぽになったかのような感じがする。

 食欲も性欲も生じない“小市民体質”の私は、半ば残念な気持ちでホテルに帰り、その日の宴会で仕入れた情報やソマリ語をメモ帳やノートに何時間も書いてまとめる。まだ十分に集中力があるので、楽にそのような作業ができるのだ。食べた量がほどほどのときはそのまま普通に眠りにつける。

カート宴会は楽しいが、その後に副作用が…

 だが、問題は宴会が盛り上がってカートを食べ過ぎてしまったとき。食欲・性欲の有無にかかわらず、不眠、不安、神経過敏といった副作用が出るのだ。

 夜中近くになるとわけもなく神経がピリピリし、風の音や誰かが遠くでドアを閉めたバタンという音に飛び上がるほどびっくりする。そのうち、自分がこの土地で孤立無援な気がしてくる。周りのソマリ人が私をあざ笑っているような気がする。稀にだが、激しい動悸を感じ、「ヤバイんじゃないか」と恐怖におののくこともある。パニック障害的なものだろう。

 まあ、たいていは何時間かして、疲れて寝入ってしまうのだが、翌朝はひどくだるい。ときには取材どころか部屋の外に出るのが億劫になるほど。急性のうつ病、あるいは精神的な二日酔いとでも言うのだろうか。

 こんなときに唯一最善の対応策はというと、まさに二日酔いと同じ。昨日の残りのカートを食うことなのだ。これをソマリ語で「イジャバネ」と言い、私は「迎えカート」と訳している。

 食い残しの葉っぱは萎びて変色し、まるでグラスに残った前日のビールのよう。まずいとしかいいようがないが、それをぎゅうぎゅうと口の中に押し込むと、たちまち気分が楽になってくるから不思議だ。

 そのまま葉っぱを携えて外に出ると、「イジャバネ!」と他の人たちが指さして笑う。日本同様、朝から迎えカートなんかやっている人はダメ人間なのだ。

 幸か不幸か、私の取材仲間たち(ジャーナリストやドライバーや護衛の兵士たち)もイジャバネを口にして待ち構えている。かくして、われわれダメなソマリ取材陣は口を緑色に染めながら、次の取材地へ向かうのだった。