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特集
「哲学」の時代 哲学者連続インタビュー

感情論の時代だからこそ「なぜ」を問い続ける――哲学者・萱野稔人インタビュー #2

「カネと暴力」の哲学者が語る「考えることの効用」

1つ分かるとドミノ式にどんどん分かる

――萱野さんは大学で教員として教えていらっしゃるわけですが、学生達がそういった「知的な基礎体力」をつけられるような授業を考えられているんですか。

萱野 議論型の授業にしています。例えば、同性婚の問題について皆で意見を出し合って考え、議論したりとか。一般的に哲学の授業というと、哲学史を一通り教える形が多いんですが、それはしません。そのエッセンスをどう使えば議論が深まるか、何に貢献できるのかまで示す必要があると考えています。まあでも、基本的な哲学史も覚えてほしいんですけどね。

――今一番興味がある問題、これから考えていきたい問題は何ですか。

萱野 現代はもうアメリカの時代が終わって、中国が独自の覇権の確立を画策しているという戦後最大の世界史的な大きな転換点にあります。大きな問題ですが、世界がどうなっていくのか、ということに興味があります。

 

――萱野さんが今でも繰り返し読んでいる本はありますか。

萱野 スピノザの『エチカ』、フーコーの『監獄の誕生』、ドゥルーズ=ガタリの『千のプラトー』ですかね。どれも研究対象でしたし、分かるまでに時間がかかったので、思い出深い本です。

――本を読んでいて「分かった」瞬間はどんな時だったんですか。

萱野 スピノザの『エチカ』について大学院の頃ずっと研究をしていましたが、「あ、そういうことか」と繋がった時がありました。1つ分かると、ドミノ式にどんどん分かっていくんですね。『エチカ』に関する研究書を読んでいた時でした。フーコーは大学の授業に潜っていた時に分かったことが記憶に残っています。「ちゃんと読めたな」って思えた瞬間でした。

花火を上げやすい「現代思想」で流されずにいるということ

――「ちゃんと読めた」とは具体的にどういうことですか。

萱野 テクストを読んで再構成できるということです。これは哲学を「ちゃんとやる」ということでもあります。アカデミックな作業として、哲学の行うことは、テクストを読んで再構成する、これに尽きるのです。例えばハイデガーについて「ちゃんとやる」とはどういうことか。それはハイデガーの『存在と時間』がどう体系的に構築されているのか、彼の概念がどう変化しているのかを研究するということです。

――その哲学者の考えていた思考の跡を追体験するようなイメージですか。

萱野 そうですね。その哲学者が生きた時代、書かれたテクストの意味を自分のなかで納得させ、把握する、ということでしょうか。そうしないと、哲学を応用できないわけですから。アプローチの方法はオリジナルの原稿にあたる歴史的なアプローチもあれば、解釈をしていくものなど色々ありますが、研究の基本姿勢は哲学のテクストの読解と再構成です。現代思想の世界では、これをきちんとやっていない人、アカデミズムの基準からするといい加減な人が多いような気がします。

 というのも、現代思想は花火を上げやすい学問でもあるんです。何となく流行の概念を繋げて大それたことを言う、といったことがやりやすいのです。しかし、それは「ちゃんとやっている」ことにはならないと思います。僕自身も、若い頃、単に周りで流行っていたから研究していた時期もありました。でも最近はもうそういう世界には興味がないんです。流行に流されることなく、言葉を使って知的な道を開いていきたいですね。それが哲学者の態度だと思っています。

 

写真=榎本麻美/文藝春秋

かやの・としひと/1970年、愛知県生まれ。パリ第十大学大学院哲学科博士課程修了。専門は哲学、社会理論。津田塾大学教授として大学で教鞭をとる一方、コメンテーターとしてテレビやラジオでも活躍。主な著書に『国家とはなにか』『暴力と富と資本主義 なぜ国家はグローバル化が進んでも消滅しないのか』がある。

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