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竹内 茂喜
2017/07/14

【中日】名古屋開催のオールスター 思い出の3つの名場面

文春野球コラム ペナントレース2017

オールスターゲームは特別な戦いである

 セ・パ合わせ光り輝く56人が集結! 今日から2試合、オールスターゲームが行われる。第一戦は我がドラゴンズのフランチャイズであるナゴヤドーム。シーズン当初からこの日が来ることをどれだけ待ち焦がれたことか。それだけオールスターゲームは特別な日なのだ。

 名古屋開催の思い出を振り返れば、3試合がすぐ頭に浮かぶ。まずは1984年の第三戦、ナゴヤ球場で演じられた巨人・江川卓投手の江夏豊に迫った8連続奪三振ショー。9人目のバッター、近鉄・大石大二郎内野手にカーブをチョこんと当てられセカンドゴロとなった時、球場に詰め掛けたファンのため息の大きさは今でも耳に残っているほどだ。

 舞台がナゴヤドームに変わり、初めてのオールスターゲームが開催されたのが1998年の第一戦。満を持してセントラルの先発を務めたのが、この年明治大からドラフト1位で入団し、開幕から大車輪の活躍をした川上憲伸投手。3回を2安打ピッチングに抑え、見事新人投手としては初のMVPに輝いた。

2011年のオールスターでプロ入り2度目の先発登板を経験した岩瀬 ©文藝春秋

 最後は前回2011年の第一戦。セ・落合監督の粋な計らいにより、先発に起用されたのは史上最強のクローザー、岩瀬仁紀投手。当時、毎年ナゴヤドームでの最初のオープン戦で先発することが恒例行事となってはいたものの、公式戦ともなれば2000年10月に一度経験したのみ。ましてやオールスターゲームの晴れ舞台。いつも荒れたマウンドを主戦場としていただけに、まっさらのマウンドを踏みしめたのはさぞかし嬉しかったに違いない。アマチュア以来となる振りかぶっての投球に童心に戻り、楽しんで投げられたと当時のスポーツ紙にコメントが残されていた。

 またこの試合にはもうひとつの見せ場が用意されていた。5回裏一死一塁の場面、打席に向かったのが荒木雅博内野手。落合監督との『ホームラン打って来い!』『打ってもいいんですか?』『打っていいよ』との掛け合いのもと、本当にレフトスタンドにアーチをかけた予告ホームラン。まさにオールスターでしか味わえない投打のビッグショーが演じられたのだ。

同試合の前に行われた落合監督の野球殿堂入り表彰 ©共同通信社

今イチ盛り上がらない名古屋の街

 そして今年、6年ぶりとなる地元開催だけに名古屋の街は大盛り上がり! かと思いきや、いたって平常ムード。ナゴヤドーム周辺でさえオールスター開催の熱気が伝わってこない。現在、大相撲名古屋場所が行われており、周りの声は大島より高安! ゲレーロより高安! ってな感じの様子。せっかくの千両役者が揃う一日だけになんとかもう少し盛り上がらないものかと感じてしまうのは私だけだろうか。

 ひと昔前は人気のセ、実力のパと呼ばれ、テレビをつければ巨人中心のプロ野球中継。なんとかひと暴れする姿を見せつけてやりたいとパ・リーグの面々はここぞとばかり力を発揮した。セの野球に慣れ親しんだ私もオールスターでしか見ることのできない野武士揃いのパ戦士に目を輝かせたものであった。よく言ったもので、まさにオールスターゲームは夢の球宴。七夕同様、一年にこの時だけ戦うことが許される夢舞台。そんな時代を生きてきたからなのか、今でもオールスターゲームという言葉の響きに胸の高鳴りは抑えきれない。

 しかし時の流れがオールスターゲームの価値を下げたのかもしれない。契機になったのはおそらくセ・パ交流戦が開始された頃からだろう。オールスターゲームでなくても対戦が可能となり、“夢の対決”が、“公式戦のリベンジ”という安っぽいタイトルに変わってしまった感が強い。