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佐々木 実
2017/07/17

なぜインド人エリートは西葛西に住むのか #3

50年後の「ずばり東京」

新たな共同体として

 西葛西に「リアルなリトル・インド」を建設しようという動きがある。一般社団法人「リトルインド東京」は2年前に設立された。ヨガ教室やカレーショップなどが立ち並ぶ「インドストリート」をつくるなどの目標を掲げるが、もっとも重要な課題がヒンドゥ寺院の建立だ。

 リトルインド東京の発起人は江戸川インド人会会長のチャンドラーニと江戸川区議会議員の桝秀行。桝は、これといって特色のない江戸川区をアピールする方法を思案していた際、どんどん増えるインド人の存在に気づき、交流を深めるようになったという。

「寺院を建立する候補地は決めています。4億円程度と考えてはいるんですけど、建設費のめどはまだついてない」

 IT技術者は出入りが激しく、長期のプロジェクトに巻き込むのは難しい。担い手の中心は「オールドカマー」になってしまうが、最古参のチャンドラーニはそれでも「リアルなリトル・インド」が必要だと説く。

「日本でこれだけたくさんのインド人が同じ地域に住んだことはなかった。ここはインド人のフロンティアですよ。わたしはインド人のためにファシリティ(施設)をつくりたい」

 いずれ東京を離れるIT技術者と定住者とのあいだに温度差があるのは致し方ない。興味深いのは、チャンドラーニが「シンド商人」の末裔だということである。

 シンド州は現在はパキスタンに属する。州都はパキスタン最大の港湾都市カラチ。シンド州はかつてはインドだった。1947年にパキスタンがインドから独立した際、パキスタンに編入された。チャンドラーニ家はシンド州タッタの地主で、カラチを拠点に国際貿易を行っていた。シンド商人である。

現在のシンド州の風景 ©iStock.com

 チャンドラーニがカルカッタで生まれ育ったのは、イスラム教の国として建国されたパキスタンが独立する際、両親が命からがらインドへ逃れてきたからだ。ヒンドゥ教徒が大量に難民化したのである。シンド州には一度も行ったことはないが、喪った故郷へのチャンドラーニの思い入れは深い。

 近代国家日本が開国した際、いち早く日本にやってきたのがシンド商人だった。1880年代のことである。シンド商人は神戸に共同体を形成している。チャンドラーニが来日する前、従兄が関西に住んでいたのもそのためだ。

 UR住宅にインド人を送り込むことで“リトル・インド”に貢献している石川カマルも、じつは、シンド商人の一統だ。祖父母の代にシンドからボンベイへ逃れた。母方の祖父の弟が今も神戸に住む。

 多くのIT技術者を知るカマルは、「残念ながら、日本に興味をもつ人は少ないです」と明かす。関心事は日本でどれだけ蓄えを増やせるか。「日本にも原因はあるよ」とカマルは控え目に付け加えた。UR以外の物件ではインド人の入居を渋る家主は多いし、UR住宅でも「インド人の子供がうるさい」と隣人が苦情を寄せることが珍しくない。

 よりよい報酬を求めて国際労働市場を渡り歩く技術者たちは、フェイスブックなどを介してつながる、いささかバーチャルな集団である。ニューカマー(新参者)がオールドカマー(古株)に支えられながら、“リトル・インド”は大海に漂う小舟のように存在している。

「リアルなリトル・インド」を西葛西に建設する試みは一筋縄ではいきそうにないが、そんなことに頓着せず、「新しいインド人」を育む学校で子供たちは学ぶ。東京に生まれた「小さなインド」では、グローバリゼーションという濁流のただなかに共同体を創造する実験が今日も密やかに進められている。

(文中敬称略)

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