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【阪神】鳥谷敬が3割打つかどうか、それが問題だ!

文春野球コラム ペナントレース2017

2017/07/17

 このオールスターブレイクの間、私は阪神タイガースの個人成績をあらためてチェックしていた。球宴の喧騒とは無縁の作業だが、これが子供のころから好きだったのだ。

 たとえば1980年代、あのころの阪神は常に熾烈な優勝争いをするようなチームではなかったから、さらにCS制度のない時代ではAクラス争いに注目することもさほどなかったから、少年時代の私は順位表よりも、もっぱら掛布雅之や岡田彰布、ランディ・バースらの打率や本塁打数などに一喜一憂していた(85年は例外)。

 そして80年代後半以降になると、阪神はいわゆる暗黒時代に突入したため、順位表なんてものにますます興味がなくなった。唯一優勝争いをした92年だけは他球団とのゲーム差を気にしたものだが、だからといって個人成績への注目度が下がることはなかった。投手なら二桁勝利に届くかどうか、野手なら打率3割を超えるかどうか。そういう一般的な評価基準が頭に刷り込まれていた私にとって、個人成績こそが弱い阪神を楽しむ術だった。

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 その名残は今もあって、今季ここまでの阪神が2位につけているにもかかわらず、私はついつい個人成績を気にしてしまう。チームが勝てばそれでいい、という理屈はわかっているつもりなのだが、たとえば鳥谷敬の打率を見たら、なんとなく気分が沈む。オールスター直前に鳥谷の打率が.300を切ってしまったからだ(現在.298)。

7月16日現在、打率.298の鳥谷敬 ©時事通信社

3割前後を行ったり来たりする鳥谷の打率から目が離せない

 ご存知の通り、今季の鳥谷は開幕から好調で、打率.300以上をずっとキープしていたのだが、交流戦が終わったあたりからジリジリ打率を落とし始め、やがて.300前後をうろうろするようになった。特にオールスター直前の数試合はハラハラした。なにしろ1試合ごとに.300を超えたり切ったりするのだから、なんとも心臓に悪い。いやはや、打率.300とはつくづく魔性の数字である。

 個人成績を楽しむファンにとって、この数字のもつ意味は大きい。打率.306と.307は印象としてほとんど変わらないが、同じ1厘差でも.299と.300では大きくちがう。個人的には.300ジャストと.301も微妙にちがう。なんというか、後者のほうが3割を超えたという誇らしさが増すのである。ファンが誇らしくなるのもおかしな話だが。

 だからこそ、私は鳥谷の打率に強烈にこだわってしまう。早い話、毎試合終わるたびに彼の打率が.300を超えていたら安堵し、それを1厘でも下回って.299とかになっていたら唇を噛んでしまう。これから始まる後半戦でも、私はそこから目を離せないだろう。

 もちろん.300という評価基準は絶対的なものではない。ましてや鳥谷という打者は持ち前の選球眼の良さによる四球数の多さ、すなわち出塁率の高さもセールスポイントのひとつであり、実際その出塁率に関しては今季もリーグ4位と相変わらずの好成績を維持している。本来、鳥谷はいわゆるセイバーメトリクスの観点で評価されるべき選手だ。

 しかし、それでも刷り込みとは恐ろしいもので、やはり打率.300には甘美な魅力を感じてしまう。30本塁打や30盗塁もそうだが、3という数字はいったいなんなんだろう。

和田豊の打率.300だけが楽しみだった暗黒時代を思い出す

 これと似た感覚は先述の阪神暗黒時代にもあった。あのとき、チーム成績には期待できなかったが、和田豊の打率.300だけは大きな見どころだった。とりわけ80年代後半~90年代にかけて若虎と呼ばれていたころの和田は、現在の鳥谷のように打率.300前後をうろうろすることの多い打者だったため、私は彼の打席ごとにハラハラしていた。

 ちなみに89年の和田が打率.296、90年が.304、91年が.298である。なんとまあ、罪深い数字だこと。ファンとしては一打席とて心を休められない。和田の全盛期はすっかりチームリーダーに成長していた93年(打率.315)~94年(打率.318)あたりだろうが、私の中では若虎時代の3割狂想曲のほうが印象に残っている。数少ない希望だったのだ。

 それに比べると、現在の鳥谷は大きく状況が異なる。そもそも彼は若手ではなく、通算2000安打も間近に迫っているほど実績のあるベテラン選手だ。打率.300以上だって2010年~11年、14年にクリアしているし、チームだって当時ほど弱いわけではない。

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