昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

城山 英巳
2017/07/24

ノーベル賞作家・劉暁波の早すぎる死に「中国政府の重大な責任」

61歳の早すぎる死だった ©共同通信社

 ノーベル平和賞を受賞した中国の民主派作家・劉暁波氏が7月13日夕方、死去した。当局が管理する中国版LINE「微信」などでは、厳しい情報統制をかいくぐり、劉氏の友人や改革派知識人による書き込みが相次いだ。

〈今夜の雷鳴と狂ったような風雨は一体なんなのだろう。天のみ答えを知っている〉

〈今夜の雷雨は、天怒(天の怒り)だ〉

 劉氏が死去した時間帯に起こった激しい雷雨は、すべてを吐き出したかのように間もなく止んだ。北京で夏の夕立は珍しくないが、劉氏の友人らは、天が習近平政権に怒りを表したものだと感じた。

 劉氏は08年、中国民主化への道筋を示した「08憲章」をインターネット上で発表する直前に拘束された。劉氏を「国家の敵」と位置づけた共産党政権は懲役11年という重刑を科し、10年のノーベル平和賞授与が決まると受賞を支持する国際社会まで「敵」とみなした。

 9年間も獄中にあった劉氏は、末期になるまでがんを放置された。厳しい自宅軟禁下に置かれた妻・劉霞さんと共に欧米行きを希望したが、政権は一切認めず、無念の死に追いやった。

 ノルウェー・ノーベル賞委員会は「早すぎる死に中国政府は重大な責任を負う」と声明を発表した。

 ニューヨーク・タイムズも〈ある日、中国が民主化すれば天安門広場には劉暁波の記念碑が建つだろう〉と評した。

 一方で欧米や日本の政府は、中国政府の反発に気をもみ、習政権への批判は及び腰だ。トランプ米大統領は、劉氏の死去に触れることなく、習近平国家主席を「偉大で才能あふれたすばらしい指導者」と持ち上げた。

 当局は劉氏の出国を認めず、墓が民主派などの「聖地」にならないよう遺骨を海に撒くことを劉霞さんにのませた。実は、中国国内では徹底した情報封鎖のため劉氏を知る人は極めて少ない。にもかかわらず習政権は、なぜここまで過剰に反応するのか。

「私には敵はいない」という劉氏の信念は、人であろうが、国であろうが、「敵」とみなせば容赦なく攻撃する「大国」の本質を突いた言葉である。習政権は、劉氏の最期の「声」が「魂」となって、国内に残り続けることを恐れたのである。

はてなブックマークに追加