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【中日】星野仙一がナゴヤドームで残した“遺言”

文春野球コラム ペナントレース2017

2017/07/22

酒と夢のオールスター

2017年7月14日。名古屋の夏は今年も絶好調の蒸し暑さ。すれ違う人皆、“頼むわ! なんとかして!”の表情。滴り落ちる汗。早く一日が終わらないかという思いが伝わってくる。しかし私の気持ちは真逆だった。今日という日をどれだけ待ち望んだことか。6年ぶりの地元ナゴヤドームでのオールスターゲーム開催。仕事を午前中で終え、急いでドームへ向かう。

 開門1時間前に到着し、暑さをぶっ飛ばせとばかりドーム敷地内のカレーショップで生ビールを2杯一気呑み。ゲームが始まる前から気分は既にハイテンション。時は酒の量と比例して進み、突然ドームのスピーカーから緊張した声が流れてきた。野球殿堂入り表彰式の幕開けだ。実はゲームはもちろんのこと、この式典もまた心待ちにしていたものだった。なんてたって星野仙一さんの一世一代の晴れ姿をこの目で見ることができるからだ。

ナゴヤドームで野球殿堂入りの表彰をされた星野仙一 ©文藝春秋

盛り上がりに欠けた表彰式

 ただ気になったのはこの時点でドームの入りが6分程度だったこと。いくら宣伝が行き届いていなかったとはいえ、野球好きが集まるこの舞台。その上、燃える闘将の異名を持った男・星野の表彰式である。気分は上々だったはずが何故か酔いが醒めていくのが分かった。彼の名前が紹介されてもドーム中から盛大なる拍手が湧かない。星野さんが育ち、そして育てたドラゴンズの地元なのにどうしてなのだ? 陣取っていたプライム・ツインの頭上に設置されていたディスプレーに目をやれば楽天の帽子を被った星野さんのレリーフが寂しく映っていた。

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 そう、あの日から全てが変わった。2001年のオフ、名古屋の街に激震が走った。まさかの阪神監督就任。その瞬間から反星野へと心変わりしたファンは多かったに違いない。まさに恋愛同様、好きで好きでたまらなかった恋人に一切の前ぶれもなく突然別れを告げられた時と似た想い、まさに私が受けた感じのように……。

星野仙一がいなければ今のドラゴンズはない

 それまで星野さんは全てといっては大袈裟だが多くのドラゴンズファンに愛されていた。現役時代の熱投から、そして指揮を執る姿から私たちは多くのことを教わった。それは勝つことへの喜び、そして負けることの悔しさ。勝つためにはハッタリをかますことも厭わない。晩年、ヘロヘロボールしか投げられない中、威嚇するような目つきでバッターを睨みつけ、大声を発しては騙し、打ち取った老練なるテクニックに大人の世界の厳しさをも学んだものだ。とにかく負けることが大嫌い。

 負け犬根性がべったりと染み込んだドラゴンズを根っこから劇的に変えてくれたのは間違いなく星野さんの力であり貢献であった。彼がドラゴンズに入団しなかったら、ジャイアンツは間違いなくV10を達成していたことだろう。あのONを打ち取ることしか眼中になかった、あの闘志あふれた投球に私を含め、どれだけの少年ファンが熱狂し、プロ野球入りを目指したことか。

多くのドラゴンズファンに愛されていた星野仙一 ©文藝春秋

 指揮を執ってからも然り。彼以外に誰が川上、福留の逆指名をモノにできたことか。そして落合を招き入れたことか。この世紀のトレードがなければ、その後の落合政権などは絶対生まれていなかっただけに、常勝ドラゴンズを築く礎になったことは誰一人として異論はないはず。優勝の美酒を二度も味わうことができた。時に息子のような選手のビデオレターに号泣し、サヨナラヒットを放った選手を抱擁した。そんな姿を見て星野仙一という男を愛さないファンなどいないと思った。多少なりともパフォーマンスはあったかもしれない。だとしても、そんな男に騙されてもかまいやしないと思ったものだ。

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