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満天の星降る、新江ノ島水族館を巡る ナイトワンダーストーリーズ 第四話

文藝春秋×新江ノ島水族館 特別企画

PRsource : 文藝春秋

新江ノ島水族館で開催中の「ナイトワンダーアクアリウム2017~満天の星降る水族館~」と文藝春秋各誌による特別企画「ナイトワンダーストーリーズ」。第四話は、年老いた元漁師の物語です。

» 第一話「イワシと天の川」(CREA Web)
» 第二話 「アカエイと甲子園」(Number Web)
» 第三話 「ミノカサゴと左の手」(文春オンライン:週刊文春)

 

第四話「クエと白鯨」

「じぃじ見て、すっごい大きい水槽があるよ!」

 さっきからあっちの水槽、こっちの展示と夢中になって走り回っているチビが、さらに高い声を上げて指差した。何が“じぃじ”だ。仮にもオレは、仲間から「海のことはシゲじぃに聞けば何でも分かる」とまで言われた漁師だったんだぞ。「夏休みぐらい遊んでやってよ」と娘から押し付けられた孫に「じぃじ~」なんて呼ばれて、ニヤニヤしてられるか。

 そんなオレの気持ちなどお構いなしに、チビは歓声を上げて大水槽へ駆け寄っていった。小学二年にもなって海へもロクに入れないカナヅチだそうだが、「でも、海の生き物は大好き」なんだそうだ。おかげで、猛暑日だというのに新江ノ島水族館まで連れてこざるを得なくなった。

「じぃじ、あの大きな魚はなんていう名前?」

「あぁ、あれか。あれはクエだ。近頃じゃ高級魚らしいな」

「へぇー! じぃじも獲ったことある?」

「もちろんだ」

「ホント!? じぃじはすごい漁師さんなんだねぇ~!」

一瞬まんざらでもない気持ちになったが、それも束の間だ。七十を過ぎて船も手放した今のオレは、ただの老いぼれた元・漁師なのだから。

「じぃじは、漁師さんになるのが夢だったの?」

と、チビが何やら真剣な口調で聞いてきた。

「……うん?」

「授業でさ、先生が『未来の夢は何ですか?』って聞いたんだよ。みんなは宇宙飛行士とかサッカー選手とか答えたんだけど、ぼく、何も思いつかなくてさ……。じぃじは小さい頃、未来の夢、あった?」

夢か。

 コイツにオレが幼かった頃の話をしても理解できまい。終戦直後に生まれ、父は戦死して顔も知らず、母が魚の行商をして稼ぐわずかな金で、なんとか親子二人食いつないだ。学校から帰ると母の荷車を押し、中学を出ると同時に漁師の見習いになって、遊びも夢も無縁だった貧しい子どものことなど、想像さえできるはずがない。

 無言のままのオレをチビが不思議そうに見上げた時、館内にアナウンスが流れた。

「間もなく五時。『ナイトワンダーアクアリウム2017~満天の星降る水族館~』の幕開けです……」

 どうやら夕方五時を境にこの水族館は夜の演出に変わるらしい。フッと館内の照明が暗くなり、大水槽の周囲が星空に変わった。程なくして始まったのは、不思議な物語の映像だった。宇宙、星、地球、そして海。生き物が生まれ、進化し、そして命がつながっていく。大水槽の周囲を取り巻く映像、四方から降りてくるような音楽。大水槽の中の魚たちまで光り輝く星座のようだ。チビは、ポカンと口を開けたまま、微動だにしない。

 やがて、大水槽の上に現れたのは、大きなクジラだった。

 巨体をひるがえして泳ぎ、こちらを見下ろしている。その姿を見た瞬間、オレの脳裏をよぎるものがあった。

 そうだ。オレにも昔、夢があった。学校の図書室で見つけた『白鯨』という本に出てくる、巨大な白いクジラ。そこらの漁船などはね飛ばしてしまうような、海の主。漁師になれば、そんな白鯨にいつか出会えるかもしれないのだと思うと、知らずに胸がときめいた。

 そうだ。あれがあの頃のオレの、未来の夢だった。

 大水槽を飲み込むように、クジラは悠然と泳ぎ、姿を消した。やがて、すべての上映が終わっても、オレの目には、その巨大な姿がゆったりと泳ぎ続けていた。

「すごかったね、じぃじ! 星と星が出会ったら、地球みたいに海ができたり、新しい生き物が生まれたりするんだね! ぼくもその生き物を見てみたい!」

 チビは興奮を隠すことなく、思いがけず強い力でオレの手を握りしめた。

「じゃあ、それがぼくの未来の夢だ!」

――そうだ、チビ。おまえにはそれがある。星のように輝き、魚のように自由な未来が。そして、もしかするとまだオレにもあるのかもしれない。ほんのささやかな余生だが、あの白鯨をこの目で見ることができる未来が。

 うん、オレもまだまだ、海の男なのかもしれないな。オレは内心、そんなことを思って笑った。

 その前にまず、コイツに泳ぎを教えてみるか。

「チビ、帰るぞ」

 オレは小さな手をしっかり握り直した。

「それからな、オレの名はじぃじじゃない。これからは、シゲじぃと呼べ」

©新江ノ島水族館/Tsutomu Sakihama

ナイトワンダーアクアリウム2017 ~満天の星降る水族館~

開催期間:2017年7月15日(土)~12月25日(月)
休催日:10月21日(土)

[パート1] 7月15日(土)~9月30日(土) 17:00~20:00
[パート2] 10月1日(日)~11月23日(祝・木) 17:00~19:00
[パート3] 11月24日(金)~12月22日(金) 17:00~19:00、12月23日(祝・土)~12月25日(月) 17:00~20:00

新江ノ島水族館
所在地 神奈川県藤沢市片瀬海岸2-19-1
電話番号 0466-29-9960
http://www.enosui.com/
※一般入場料のみでお楽しみいただけます。