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竹内 茂喜
2017/07/31

【中日】京田陽太は4代目ミスタードラゴンズになれるか

文春野球コラム ペナントレース2017

久々に現れたミスタードラゴンズの器

 1カード合計失点が31。真夏の夜の悪夢と化したスワローズ3連戦。竜党にとってはさぞかし寝苦しい夜となったに違いない。愚痴は増え、酒量も増したはずだ。一時は借金も劇的に減り、このまま行けばAクラスはもちろんのこと、2位だって行けるんじゃないの? と、つい浅はかな想像をしてしまった自分を酒の海に沈めてしまうほどの惨劇であった。とはいえ、そんな泥沼状態の中でもファンというものは常に夢を追い、希望を見出したいもの。毎試合全力プレーを続けているルーキー京田陽太の瑞々しい姿に、このやるせない思いを全て払い除けて欲しいと願ってしまうのは私だけではないはずだ。

 ドラゴンズでは1999年の福留孝介(現阪神)以来、新人内野手19年ぶりとなる開幕スタメンを果たした京田。森監督の『何があってもとにかく使い続ける』という思いを良い方に裏切り続け、攻守にわたって大活躍。6月2日以降1番に定着すると、バッティングが弱点という前評判を覆し、前半戦を打率.289という大健闘の活躍を見せた。

ルーキーながら大活躍を見せている京田陽太 ©時事通信社

 全てがうまく進んだわけではない。5月28日、ナゴヤドームで行われた対スワローズ戦。京田のエラーが引き金となり、チームは大量失点。結果として、ひとつのミスが試合をぶち壊してしまった。表情を変えずにプレーを続けていたものの、その後はベンチ裏で号泣していたという。悔し涙を流したことで、ますますこの男ただ者ではないと実感。ミスをすれば意気消沈し、ただ頭を垂れる選手が多い中、グラウンド上では無表情を貫くものの、熱い心、そして反骨心でミスを帳消しにする姿はもはやルーキーではなく、ラインナップから外すことができない主力選手。ダイヤモンドで躍動する姿は近い将来ドラゴンズを背負って立つ、そう、久々に現れたミスタードラゴンズの称号を継承できる男として評価を変えていったのである。

ミスタードラゴンズの歴史

 ミスタードラゴンズ、それは中日の顔。多くのファンが認めた呼称であり、80年経つ球団史の中でも今までミスターと呼ばれた者は西沢道夫、高木守道、そして立浪和義のたった三人しか存在しない。西沢はドラゴンズに二人しか存在しない永久欠番の一人であり、1954年初優勝時の主力打者。しかしプロデビューは投手であり、ノーヒッターも記録したほどの名投手でもあった。まさに今風で評すれば二刀流の先駆者だったわけだ。首位打者、打点王をそれぞれ一度獲得し、1950年に記録したシーズン5本の満塁ホームラン記録はいまだに破られていない。1977年には競技者表彰として野球殿堂入りしている初代ミスタードラゴンズである。

 二代目の高木はまさに打って良し、守って良し、走って良しの三拍子兼ね備えた名二塁手として名を馳せた。1974年、20年ぶりとなるリーグ優勝時の切込隊長であり、2000本安打を記録したチーム初の選手でもある。当時球場が狭かったとはいえ、小柄でありながら236本のホームランを記録しているのも大打者の証である。また守りも秀逸であり、彼の代名詞とも言えるバックトスは人間国宝を与えてもおかしくはない技である。プロ野球史上最高の二塁手であることに異論を唱える人はいない。

 そして三代目の立浪。引退してまだ日も浅いだけに彼の勇姿を思い出すのは容易い話。通産安打数は歴代8位となる2480本(日本プロ野球のみ)を記録。487二塁打は日本記録である。長きにわたり常勝ドラゴンズのチームリーダーとして活躍した唯一無二の名内野手である。

 奇しくも過去のミスタードラゴンズは全て内野手。また京田の目指すべき姿はまさに高木、立浪であろう。現役の姿を知る両氏は不言実行タイプであった。活躍する背中を見せチームを牽引した二人。巧打・堅守といったあたりも京田が追い求める素晴らしいお手本ではないか。

 余談となるが、2013年シーズンをもってチームを去った高木。それ以来あまり公の場に現れないことを心配して止まない。退団セレモニー時に受けた罵声が今でも頭に焼き付いているだけに、願わくば中日球団には高木のチームに対する多大なる功績を讃える場を設けて頂きたいと願う。そして孫ともいえる京田に、ミスタードラゴンズイズムを手取り足取り叩き込んでもらいたい。まだまだ隠居なんてさせませんよ。

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