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障害児が生まれるのは、本当に不幸なのか?

渡辺一史が『呼吸器の子』(松永正訓 著)を読む

2017/08/07
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『呼吸器の子』(松永正訓 著)

 障害児が生まれるのは不幸だという思い込みから、私たちはなかなか自由になれない。そもそも幸福の価値観など一律ではないはずなのに、ともすると私たちは、人生からマイナスに思える要素を取り去りさえすれば、幸福になれるという短絡思考に陥りがちだ。

 本書は、ゴーシェ病という難病のため人工呼吸器をつけて生きる十四歳の凌雅(りょうが)君と家族の日常を描いたノンフィクションだが、重症児を抱えながらも「毎日の暮らしが楽しい」と語る母親・朋美さんの言葉に、著者もまた当初は、母親が「虚勢を張って」いるのではないかという疑問を抱く。

 しかし、その疑問が徐々に解けていくプロセスにこそ、幸福とは何か、生きるとは何かという深い問いが凝縮し、胸に迫る。

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 著者は小児外科医であるとともに、前作『運命の子 トリソミー』で小学館ノンフィクション大賞を受賞した作家として知られるが、言葉を発しない凌雅君の日常を面白く読ませる言葉のデッサン力が見事である。

 また、「凌雅君を家族だけで抱え込まなくていいよ」と母親に語りかける主治医の高柳医師や、手作りの小道具を駆使して凌雅君の反応を次々と引き出してしまう特別支援学校の市川先生など、凌雅君を支える多様な人たちの人間的魅力を巧みに描き出している点にも感服させられる。

 しかし、何より本書の核心は、そうした「支える―支えられる」という関係性の不思議な逆転に気づかされることだ。つまり、凌雅君はただ一方的に「支えられている」だけではない。彼を支える人たちを吸い寄せ、鍛え、やりがいや生活の糧を与え、逆にたくましく「支え返している」というケアの双方向性が浮き彫りにされているところだ。

 多様な関係性を生きる凌雅君は、明らかに周囲に何かを与え続けている存在である。相模原市で起きた衝撃的な障害者殺傷事件から約一年になる今、本書はそのことの意味を深く問いかけてくる真摯な本である。

まつながただし/1961年東京都生まれ。87年千葉大学医学部を卒業。「松永クリニック小児科・小児外科」院長。2013年『運命の子 トリソミー』で小学館ノンフィクション大賞を受賞。他に『小児がん外科医』など。

わたなべかずふみ/1968年生まれ。ノンフィクションライター。『こんな夜更けにバナナかよ』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。

呼吸器の子

松永 正訓 (著)

現代書館
2017年6月16日 発売

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