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オールナイトニッポン50年 黄金期プロデューサーが語る「たけし伝説」

オールナイトニッポン50年 黄金期プロデューサーが語る「たけし伝説」

「ダディさんがいなかったら、たけしさんはいなかったかもしれない」ニッポン放送・近衛正通インタビュー#2

2017/08/20

 1967年、深夜ラジオの世界に革命が起きた。それまで大人向けにお色気番組を流していた時間帯に、次々と若者向けの番組が始まったのである。その一つがニッポン放送の『オールナイトニッポン』(以下、『ANN』)だ。数々の才能を発掘し、情報の発信源として時代を牽引してきた『ANN』が、今年10月で50周年を迎える。そこで、70~80年代に黄金時代の『ANN』のプロデューサーを務めた近衛正通さんにお話を伺った。

 近衛さんは、タモリ・たけし・さんまのBIG3を『ANN』に起用した張本人でもある。あの時代の深夜ラジオに何が起きていたのか。2回目は、たけし、さんま、そして伝説のパーソナリティ・ダディ竹千代についてまで、秘話満載で語ってもらった。(インタビュー1回目はこちら

近衛正通さん。現在、ニッポン放送監査役

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僕は、無名の人を起用するのが好きでしたね

―― 近衛さんは『ANN』のプロデューサーとして、数々のパーソナリティを起用されたわけですが、どのような基準で選ばれたんですか?

近衛 僕は、無名の人を起用するのが好きでしたね。ここでしか聞けないってなるから。知られてなければ知られてないほどいい、そんな考え方がありました。

―― 稲川淳二さんや所ジョージさんは、素人からの抜擢ですよね。

近衛 稲川淳二さんは前のプロデューサーが抜擢したので、あまり記憶がないのですが、所さんは、当時学生でしたね。『ANN』の前にね、『組曲:冬の情景』っていうシングル盤を出したんです。ギターの弾き語りで、軽い笑いの歌なんですけど。そのプロモーションで、ニッポン放送に来たのです。その時にすぐ『ANN』やりましょうってなった。

―― 近衛さんがこの人いいなと思ったら、すぐに抜擢したんですか?

近衛 そうですね。それでうまくいった人もいるけど、うまくゆかない場合もあります。だいたいこういうのは、うまくいったら、あいつは俺がやったとかって言う人、この世界に多いじゃないですか(笑)。それはそれで素晴らしいことだと思いますよ。でも僕はね、失敗の経験っていうのも好きですね。すべての人に思い入れがある。

 

さんま「オーディションさせられた」説の真相

―― さんまさんは、オーディションだったんですよね?

近衛 いや、さんまさんはオーディションしていませんよ。

―― あっ、そうなんですか。さんまさんのインタビューでは、「関西では売れてたのにオーディションさせられた」とご本人が語ってるんですが、真相はどうなんでしょう?

近衛 当時、さんまさんのことは全然知らなかったんです。これも縁なんですけど、中島みゆきさんの『ANN』の構成作家として、寺崎要さんという人がいた。ある日、寺崎さんから「さんまっていうのがこれから絶対売れると思うから、どうですか」って言われたんです。それで、大阪に行ってその場で決めたと思いますけどね。テスト的にテープは録ったかもしれません。たしか、木曜日の1部を桑田佳祐さんがやってるから、「2部が空いてて、夜中の3時から始まるんだけど」って言ったら、「あっ、いいですよ」って、とても気持ちよくスタートしました。

明石家さんまと横山やすし(1983年)©共同通信社

―― さんまさんの喋りをお聞きになって、どうでしたか?

近衛 さんまさんは当時から勢いありましたね。今も絶好調だけど、一回目からよかったですよ。でも、さんまさんが不思議なのは、ずっと2部なんですよね。さんまさんは、夜に大阪からニッポン放送に来て、終わったら始発で帰っていました。しばらくしてから1部に移ってもらおうとしたら「いや、僕は2部でいいです」って。普通は、1部に上がりたがるんです。でも、さんまさんはもう2部じゃないと嫌だっていう感じでしたね。