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84年前の甲子園熱闘レポート「延長実に25回 中京-明石戦」

84年前の甲子園熱闘レポート「延長実に25回 中京-明石戦」

大工が慌ててスコアボードを継ぎ足した

source : オール讀物 1933年10月号

genre : エンタメ, スポーツ, 社会

note

 8月19日午後1時10分、開始。

 審判、水上(球)、浜井、富永、伊藤(塁)4氏。

 先攻、明石中学。

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 まず明石は意表に出て、中田をプレートに送る。中田は御存じのサウスポー。浮き気味の直球と大きく破れるインドロップを以て、不敵のピッチングを続けて、遂に13回を過ぎるまで、中京にあたえし、安打僅かに1であった。

 が、守備に於ては、明石、最初より意外にも不安の蔭を宿した。

 1回には、三塁手の暴投で無死走者を3塁に至らしめ、7回には、2死ながら走者2、3塁に置くの危機を惹起した。かくて、9回の裏明石は遂に無死満塁の大ピンチに襲われた。吉田まず遊撃左の内野安打に出て、杉浦のバントは永尾ハンブルした後、2塁上の吉田を狙って高投し、その球をバックアップした。中堅手がすぐ2塁に返球した。しかるに何事ぞ塁手は3塁に走る吉田に気をとられ、1塁から走って来た杉浦を殺し損なって失った。走者は無死で3、2塁と言う機に襲われ、明石の陣に動揺の色は更に濃くなった。が、中田はあくまで自信に満ちた投球を以て、田中を敬遠の四球に送り、冷然と満塁策をとった。

 中京には、早くも勝利の女神がほほえむかに見えた。しかも打者神谷に対して中田の投球は1-2と形勢益々不利。この時、中田の投じた必死の第四球を、待ち構えていた神谷逃さじとばかりに、これも必死にバットを振れば物凄い当りが投手強襲のライナー。が、その瞬間、中田のグローブはハッシとこれを受け止め、返すボールを3塁に送れば、吉田併殺されて忽ち2死。空を揺るがし、大地も割れんばかりの歓声、乱舞の中に、岡田の三振でこの回は終り、明石の危機は去り、中京絶好の機会を失して、試合は遂に両軍無得点のまま補回戦に入った。

 延長戦に於ける両軍は互いに一進一退、相変らずの中田、吉田の好投と、バックの死物狂いの防備に、全く白熱的とも言うべき回を重ねて行ったが、9回迄不振であった中京の打撃は、次第に脂が乗って来たかの如く、然も一方明石は、自軍の危き守備に幾度か白刃首に触れるが如き思いをしながらも、遂に25回目を迎うるに至った事は、矢張り、中等大会なればこそと言う感を抱かせるものがあった。――が遂に中京は巧みにチャンスを摑んだ。第25回目に。俄然、勝利の女神は明石中学チームを見放してしまったのである。

©共同通信社

 即ち、1番打者前田を四球に出した明石中田投手の無造作な投球は、たとえ疲れからとは言え次打者野口の行った、捕手前のバントを捕手福島が当然処理すべき筋のものでありながら呆然直立していたために中田が1塁へ投げたが間に合わず、無死走者1、2塁となしつづく鬼頭の3塁前寄りのバントを中田3塁へ投げて前田を刺さんとしたがこれまた間に合わず野選となって無死満塁のピンチとなり、大野木の2塁凡ゴロに対する加藤の本投も正鵠を得ずして前田の生還を許したのであって、力闘に疲れ果た明石はここに誤れる頭脳的プレーによってあきらめられぬ勝を譲るの止むなきに至ったのである。かくて、本邦野球史始まって以来の歴史的試合はここに悲壮なる幕を閉じたのであった。

 ここにスコアを掲げて、この画期的大試合を記念することにしよう。

 この一戦に示した両軍投手の鉄腕には唯々驚嘆の外なく、その技倆はまさに神技というべきである。この日、中京の吉田投手は前日の対浪華商業との一戦に受けた負傷を物ともせず、最後までプレートを固守した姿には、敵も味方も感服賞讃を惜しまず、一方明石の中田投手も楠本の補助の域を出で、最後に刀折れ矢尽きたとは言えその健闘は野球史上に永く残さる可きである。

84年前の甲子園熱闘レポート「延長実に25回 中京-明石戦」

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