昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

松尾 諭
2017/08/20

「拾われた男」松尾諭 #6 「方南町の親方の家で謝って、泣き疲れるまで泣いた日」

 上京してすぐに運良くモデル事務所に所属、ではなく預かりとなったからと言って、華々しい芸能生活が始まるわけはない。モデル事務所であるが故に美男美女向けの募集が大半で、三の線にはほとんどこないオーディションを待つばかりの日々が始まり、一銭もかせげないまま「役者です」とは言うものの、肩書だけではメシは食えるわけもなく、結果アルバイトをすることとなる。

まつお・さとる/俳優。1975年生まれ。「連続ドラマW アキラとあきら」に出演。WOWOWプライムにて放送中(全9話)

彼女がいない事以外とくに不自由のない生活が、いつしか暗闇に落ちていく

 役者にとってのバイト探しは少々面倒で、オーディションや撮影、もしくは舞台のために、休みたい時にすぐに休める職場をみつけなければならない。ただしやっとみつけても、急に休んだり、長く休んだりする事が増えるにつれ職場で疎まれることもよくあるお話だが、オーディションすらもほとんどない自称役者にとっては、そんなお話は無縁である。バイトの面接で落ちることもなく、急に休みを取るどころか、いつなんどきでも仕事に入れるガッツのあるフリーター、もとい役者くんはどの職場でも重宝された。

 選んだ仕事はどの仕事もやりがいがあり、職場の方々は一部を除き面白い人ばかり。つねに2つ以上のバイトを掛け持ちし、朝から晩まで働いて、そこそこいい給料をもらって、週末になれば朝から朝まで遊んだ。役者の仕事なんてほとんどこないし、事務所からごくたまに来るオーディション受けても落ち、週に1回ある事務所のレッスンに行ってなんとなく役者であると言う気になるものの、いつしかそのレッスンよりもバイトを優先していた。東京に来てからほとんど休む間もなくバイトして、遊んで、好きなもの買って、貯金なんてこれっぽっちもなかったけど、多くの出会いがあり、彼女がいない事以外とくに不自由のない生活を送っていた。その日々はとても充実していたのだが、いつしか暗闇に落ちていく。