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芥川賞受賞者インタビュー
僕たちはこんな本を読んできた 芥川賞作家のこれまでとこれから

又吉直樹インタビュー「芥川賞の選評が僕の物差しだった」 #1

憧れの作家たちの背中を一人で追い続けた日々

source : 文藝春秋 2015年9月号

genre : エンタメ, 読書, 芸能

――芥川賞受賞おめでとうございます。通常の2倍の取材陣が集まったという記者会見が象徴するように、ものすごい盛り上がりでした。

又吉 とにかくびっくりしました。当日はいろいろな方に祝っていただき、携帯には100件以上のメールが届きました。受賞が決まってすぐに母親に連絡したのに返事がないと思っていたら、その大量のメールの中に埋もれていましたね。

 母は奄美の加計呂麻(かけろま)島という小さい島の出身で、とても真面目なんです。だから、僕の書いた文章が雑誌に載っているだけで喜んでくれる。たぶん「芥川賞」が何かはよくわかっていないと思うのですが(笑)、なにか賞をもらったんだな、と嬉しく思っているのではないでしょうか。「火花」については「ちょっと難しい」が最初の感想で、そのあと3回ほど読んだら少しずつわかってきたと話していました。

300人を越えた報道陣 ©文藝春秋

――これまでも、又吉さんが書かれたものは読まれているんですね。

又吉 以前数年ぶりに実家に戻ったら、僕のエッセイが掲載された雑誌が揃っていて驚きました。感想を聞いたことなんてなかったので読んでいないと思っていましたから……。それを知ってからは、エッセイは母に向けての近況報告のような気持ちで書いていました。

――小さい頃は、どんな子どもだったのですか。

又吉 僕は大阪生まれですが、父は沖縄出身でマイペース。同じく南国でも奄美出身の母は正反対で、人のことばっかりやっているし、いつものんびり、怒ったところはほとんど見たことがありません。僕の上によう喋る姉が2人いたので、小さい頃は黙っている時間が多かったんです。あまりに僕が喋らへんから、母が「直樹にも喋らせてあげて」と姉に言ったりしていた。口は開かなくても、頭の中ではいつも何か考えていました。6歳の時、姉弟で「おとんの誕生日に漫才をプレゼントしよう」という話になり、僕がネタを考え姉2人が父親の前で披露したことがあります。酒を飲みながら見た父親に「なにがおもろいんじゃ?」と一蹴されてまったく通用しませんでしたが、あれが僕が作った最初のネタです。

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