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村田沙耶香インタビュー「バイトは週3日、週末はダメ人間です」 #1

コンビニを通して、初めて世界に溶け込めた

source : 文藝春秋 2016年9月号

genre : エンタメ, 読書

大玉送りで運動会が中断

――小さい頃はどんな子供でしたか?

©文藝春秋

村田 高校生で東京に引っ越してくるまでは、千葉で育ったのですが、本当に変なことを考える子でした。

 幼稚園に入る前に暮らしていた家が木造のボロボロの社宅だったんです。ボットン便所だし、ネズミも平気で出るし。「うちは貧乏なんだ」と子どもながらに強く思っていました。だから、家族だというだけの理由で、私にわざわざお金を使って食事や寝床を与えてくれることが本当に申し訳なかった。お菓子を買ってもらったりすると、良心の呵責にさいなまれました。

 大人からしたら扱いづらい子どもだったと思います。幼稚園の運動会で大玉送りがあったのですが、先生が「大事な大玉だから乱暴に扱ったら駄目だよ」と一度言ったのを気にして、私は本当にそっとそっと運んだんです。でもあまりにもゆっくり丁寧に扱いすぎて、運動会が中断してしまい、私の大玉送りを皆で見守る会、みたいになってしまったんです(笑)。

――本は小さい頃から読んでいたのですか?

村田 母や兄の影響でよく読んでいました。家の2階の小さな物置のような部屋に本棚があって、母と兄の本が並んでいたんです。母はアガサ・クリスティーなどのミステリー小説が、兄は星新一さんや新井素子さんなどのSFが好きで、私も借りて読んでいました。

 小学校3、4年生の頃に一番読んだのは、少女小説です。空想癖もあり、ロマンチックな話に憧れて「少女小説家になりたい」と思い、自分でも小説を書き始めました。タイムマシンが出てきたり、サンタの男の子と恋愛をしたりする物語でした。

 最初は手書きでしたが、小学校6年の時にはワープロで書くようになりました。欲しがっていたら母が「私も使うから半額を出してあげる。あとはあなたの貯金から半分出しなさい」と買ってくれたのです。のめり込むように書き続けました。

――それ以来ずっと小説を書きつづけて来たのですか?

©文藝春秋

村田 中学生まではそうでした。中学時代は、他の子ができる普通のことが、なぜ自分はできないのだろうと悩み続けていて、その思いを小説で吐き出していました。小説だけが人目を気にせずできる唯一のことだったので。親に麻薬を盛られて中毒者になって……というような、暗い話ばかりを書いていました。

 でも高校受験で一旦中断したら、まったく書けなくなってしまいました。それには山田詠美さんの作品と出会ったことが大きかったと思います。高校生になり『風葬の教室』を読んだとき、あまりの文章の美しさに衝撃を受けたんです。それで私も自分の美しい文体を手に入れて、純文学を書きたいと思った。同じ作品を1週間に3回も読むぐらい好きでした。でも当たり前ですけど、いきなり山田さんのような素晴らしい文章が書けるわけがありません。

 良い友だちにも恵まれ学校生活は楽しかったですが、小説が書きたいけど書けないというつらい時期でもありました。それでも作家になる夢は捨てきれず、玉川大学文学部の芸術学科に入りました。

#2に続く)

出典:文藝春秋2016年9月号

コンビニ人間

村田 沙耶香(著)

文藝春秋
2016年7月27日 発売

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