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芥川賞受賞者インタビュー
僕たちはこんな本を読んできた 芥川賞作家のこれまでとこれから

村田沙耶香インタビュー「バイトは週3日、週末はダメ人間です」 #2

コンビニを通して、初めて世界に溶け込めた

source : 文藝春秋 2016年9月号

genre : エンタメ, 読書

#1より続く)

芥川賞作家との出会い

――再び小説が書けるようになったきっかけは?

©文藝春秋

村田 大学2年生の時に本屋で「小説の書き方」が分かる本はないかと探していたら、『書く人はここで躓く!』というタイトルが目に止まったんです。この本を書かれた芥川賞作家の宮原昭夫先生が、横浜の教室で教えていらっしゃると知り、すぐに学校に申し込みました。

――印象に残っている宮原先生の言葉はありますか?

村田 「小説家は楽譜を書いていて、読者はその楽譜を演奏してくれる演奏家だ」という言葉です。読者は作家よりも上にいるものだと考えて、上に向かって書かなくてはいけない。決して読者を下に見てはいけない、と。そうでないと小説が下品になる。とても印象的で、大切にしている言葉です。宮原先生のお陰でまた小説が書けるようになり、文学学校に入って2作目に書いた小説『授乳』で、群像新人文学賞を頂きました。実はこのときまでは、親に小説を書いていることは内緒でした。どうも恥ずかしくて……。

 ただ『授乳』では、母親と関係の良くない女の子を主人公に描いたので、心配させたらいけないと思い、母にだけ「こういう作品でデビューしたけど、お母さんのことを書いたわけではないよ」と伝えました。あと「お父さんとお兄ちゃんには言わないで」とも。父と兄にいつバレたのか正確には分からないのですが、あるとき父が酔っ払って「実は知ってるんだ」と、逆にカミングアウトされてしまった。ほんとうにひどい子どもです(笑)。

――そしてデビューから6年後に『ギンイロノウタ』で野間文芸新人賞を、その4年後には『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島由紀夫賞を受賞しました。

村田 周りの人に恵まれていたんだと思います。編集者さんもそうですが、家族にも。『ギンイロノウタ』は、同級生や親と上手く関われない女の子が主人公なのですが、野間新人賞を受賞したタイミングが母の誕生日が近かったこともあり、家族そろってレストランで乾杯したんです。家族仲が悪いという内容の作品なのにほのぼのと乾杯するなんて、なんていい人たちなのだろうと思っていました(笑)。

――普段執筆は自宅でしているのですか?

村田 バイトのある週3日は、朝2時から仕事が始まる8時までは自宅で、午後1時からは喫茶店に行って作業をします。最初はノートに手書きでシーンやキャラクターの似顔絵を書きます。絵を描くことでイメージが湧くんですね。パーマをかけているとか、こういう服や食べ物が好きだ、とか設定を決めていく。

 出来上がったシーンをパソコンにガーッと打ち込んで、印刷したものに手でどんどん書き込んでいくんです。印刷しては手で書き足す。それの繰り返しですね。やっぱり、手のリズムじゃないと頭に浮かばないことってあるんです。手と頭は連動しているんでしょうね。

授賞式にて ©文藝春秋

――バイトのない日はどうしているのですか?

村田 家ですごくダラダラしてしまって、書けないんです。だから打ち合わせを入れたり、英会話教室に行ったりして、ついでに喫茶店に行って無理やり書いています。

 なるべく会社勤めの人と同じリズムで生活をしたいと考えているので、土日は執筆をしません。だから家でずっとゴロゴロしています。食べて寝て、と。週末は基本的にダメ人間。一人で空想をして、仕事とは関係なく、物語を作って遊んでいます。楽しいですよ。お金はかかりませんし。すごく変かもしれないですけど(笑)。

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