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文春アーカイブス 色あせない100年分の人間ドラマを読む

堀江 謙一
2017/08/13

55年前のヨット単独航海「太平洋横断ひとりぼっち」#1

逮捕も覚悟した命懸けの冒険譚

source : 文藝春秋 1962年11月号

genre : エンタメ, スポーツ, 国際

 1964年の東京オリンピック前に海外旅行ができるのは、相当な社会的エリートであった。オリンピックの2年前に、小さなヨットで太平洋を渡ってアメリカに行こうと考えるのは、相当に破天荒なしわざである。

 当時、ヨットによる出国は認められておらず、堀江氏はパスポートもビザも持たずにいわば“密出国”の形で船出をした。このため、日本の領海からの脱出に際して、そしてアメリカ到着が近づくとしきりに心配しているが、アメリカ人はまことにあっけらかんとしており、この勇敢な冒険家をあたたかく迎え入れている。いかにも移民国家のアメリカらしい。

 このエキサイティングな手記は読者からの支持を集め、1962年の「文藝春秋読者賞」にも選ばれた。

 文中、ヤマ括弧〈〉で囲まれている部分は、航海日誌そのままの原文である。

出典:「文藝春秋」1962年11月号

オフクロがポロリと涙

5月12日(土)=第1日

 朝から雨。今夜の出発は、どうかと気づかわせた。が、次第に天候は回復したので、予定どおり、出ることにした。

 午後8時45分、ムアリング・ロープ(もやい綱)をはずす。飛び出したとおもったら、無風状態に入る。その後、西宮灯台を通過するまでに、1時間20分を要した。〉

堀江氏は出発時23歳だった ©文藝春秋

 家を出るとき、オフクロが横をむいて、ポロリと涙を落とした。気がつかなかったことにする。

「120日までは心配いらへんで。9月いっぱいは、黙って辛抱してや」

 といいわたす。

 2時すぎ、最後の荷物を持って家を出る。店(堀江商会。自動車修理工場)のもんに、

「ちょっと、西宮まで送ってんか」

 車を出してもらった。なにも知らせてないから、ノンキなことをしゃべりながら、運転してくれる。

 きょう決行ときめたのは、きのうだった。もうジリジリしていたのだ。ほんとなら、4月そうそうには出たかった。いろんなことがあって、半月近く延びている。ウカウカしていると、天候が悪くなる。来年まで延期になったりしては大変だ。

 ボットム(船底)の防虫塗料だけは、塗っておきたかった。ベイン・ラダー(風向によって、自動的に角度をとる舵)も、とりつけていきたかった。でも、ぜいたくはいえない。

 先輩や知人、友だちには、4月になってから、ひとわたり会ってある。もちろん、さりげなくだ。ひょっとしたら、今生の別れ。そんなつもりではない。しばらく顔を見られないからという気持だ。

 積み荷を終ったころ、奥井さんと竹内さん(ともに関西大学ヨット部OB。共有艇「サザン・クロス」の兄貴分)がきてくれた。阪神の西宮駅前で、ご馳走になる。焼飯を食べた。実はスシがほしかった。しかし、ナマモノで腹をこわしては損だ。我慢する。

 ハーバーにひきかえして、“お父ちゃん”(「サザン・クロス」号のこと)のおなかにもやってあった「マーメイド」をはなしてもらう。2人は陸に帰る。ゆっくりとセール(帆)を張った。

 竹内さんの車のヘッド・ライトが、こっちを照らしている。奥井さんが写真をとった。

 さア、いこう。しかし、風がない。「マーメイド」は“お父ちゃん”から離れようとしない。「サザン・クロス」に乗って、突き離した。カッコ悪いったらない。

 1センチも進まない。エンジンのない悲しさだ。イヤになってしまう。しようがないから口笛で「ビヨンド・ザ・リーフ」を吹いた。

 ヘッド・ライトが消えた。いつまでもつけていたら、バッテリーがあがるからな、と考える。2人はまだ見送ってくれているのか、帰っていったのか。暗いのでわからない。ぼくがこんなところでアグラをかいているんじゃあ、送るほうだって気がぬけるだろう。早く帰ってくれるといい。

 スクラップ船の足舟【あしぶね】(船の繋留地点まで乗員を運ぶポート)が、うしろを通る。そのおこぼれ波を頂戴して、ノロノロ進んだ。泳ぐより遅い。太平洋どころではない。しょっ鼻からこれではと、ジリジリする。

 さまざまの荷物のほかに、所持金が日本円で2000円。沿岸でつかまったときの用意だ。これだけあれば、家へ電報も打てるし、帰りの旅費にもなるだろう。

 安全圏に離脱するまでは、日誌にアメリカの「ア」の字も書かない決心をきめた。これも、ふんづかまったときのためである。へたに威勢のいいことなど記入してあったら、犯意とかの証明になる。すべてアッサリいくに限る。

 しかし、できれば堂々と出発したかった。5年間というもの、あらゆる手は打った。アルバイト運転手になって、トラベル・サービスに勤めたのも、合法的な出国手続をさがすためだった。が、やっとつかめたのは、八方ふさがりだという一事。

 いつまで経っても、西宮灯台の「ワン……ツー……スリー……青!」(4秒ごとの青光)が、視界から去らない。

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