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55年前のヨット単独航海「太平洋横断ひとりぼっち」#1

55年前のヨット単独航海「太平洋横断ひとりぼっち」#1

逮捕も覚悟した命懸けの冒険譚

2017/08/13

source : 文藝春秋 1962年11月号

genre : エンタメ, スポーツ, 国際

だれとも会いたくなかった

5月14日(月)=第3日

 午前5時ごろ起きる。北から順風が吹いているではないか。それ、いけッ。セール(帆)を上げ、アンカー(いかり)もとりこむ。

 午前11時、友ケ島水道を通過。そのあと風が弱まる。

 午後3時30分、風Sに定まり、風力3ぐらい。ボート・タック・クローズ・ホールド(右舷に帆を出して、風上へ斜めに登る走法)で、セルフ・ステアリング(自動操舵)にセット。

 雨が降りはじめた。

 雨もりが、キャビンのまん中あたりに1カ所。ポタリ、ポタリ。たいしたことはないが、気になる。

 それにしても、西宮―友ケ島間を38時間。時速1ノットも出なかったとは、ちょっと情ない。

 あまりの強風に、マストが折れるかと心配だ。が、ここで折れるのなら、なんとか逃げられるだろう。トライスルは使わないことにする。

 ストーム・ジム(荒天用の前帆)にし、メンスル(メイン・セール。主帆)をリーフ(縮帆)しているのに、ヒール(傾き)は30度以上をマークしていた。波が高く、船体にぶちあたる。波音は、外板をバラバラにするかとおもわれた。

 それにアカもり(浸水)がひどい。コックピット(操舵席)の上で大波がくだけ、人間もろとも、海のなかへ引っぱりこまれそうだ。

 船酔いのひどさは、お話にならない。吐くものがなくなり、ついに胃液に血がまじる。先輩の奥井さんをおもいだす。〉

©iStock.com

 人目をさけてセーリングをつづける。紀伊半島の先端にある田辺がこわい。田辺保安部は行動力も強いし、可動半径が広い。ここでカンづかれては運のつきだ。

 一般船舶の報告というのも、警戒しなくてはいけない。オセッカイな船長が、保安庁へ連絡するかもしれない。だれとも会いたくなかった。

 時計は日本時間で押し通すことにする。持っている天測略暦が日本時間だからだ。世界時間を使うと、ややこしくなる。

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 クォーター・バース(キャビン内の両舷にある板敷。寝台【ねだい】に使う)は、まだ片づいていない。疲れたので、ゴチャゴチャの上に寝る。嵐のため、ローリングが目まぐるしい。ぼく自身がオモリのひとつだから、そのたんびにスターボード(右舷)に寝たり、ポート(左舷)にひっこしたり……。ヒールを避けたくなると、針路に直角に寝たりした。

 スリーピング・バッグ(寝袋)の使いかたも工夫する。チャックをしめて、中にもぐっていたのでは、イザというときに飛び起きられない。毛布を敷ぶとんにし、チャックを開いたシュラーフ(スリーピング・バッグ)を掛ぶとんに使う。すそのほうは筒になっているので、足を突っこむ。こうすれば、爪先が冷えない。足には、木綿の紺足袋をはきっぱなしにする。ゴム草履によく合う。

 枕はライフ・ジャケットである。積載量にかぎりのあるヨットでは、ひとつの品をいくつもの目的に使わなくては、もったいない。

 肩のすぐ上に、コンパス(羅針盤)をおく。寝ていても、ちょっと首をまわせば、方角がのぞける。

 ヨットは進まなかった。まるで、かせぎが少ない。借金がたまっていく感じだ。

 アカがジャンスカ入る。簀板【すいた】をはずして、バケツでくみ出す。外へこぼそうとしたら、手もとが狂って、キャビンにぶちまけた。ゆれがひどい。

 夜、またアカくみでヘマをやった。スライディング・ハッチ(キャビンの天蓋)のニスに、ランタンの灯が写っている。それを空と錯覚して、バケツをぶちまけた。頭からザンブリとかぶる。